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* ふじ城跡 [#aeeae18f]
「ふじ城跡」ではないかといわれている所がいくつかあるのだが、もっとも有力なのは「城」の地名が残っているところ。大藤のちょっと北。
本丸と思われる構造があり、今は「山ノ神様」と「鹿島様(大きいほう」の石造りの祠があってそこでは8月16日の夜部落世帯1人が出て「山の神の講」をする。
空堀と思われるところが2箇所ある。それが、その北側に地名「堀切」として残ったと言われている。
美麻八坂線からは木が大きくなって見えないし、想像もしにくいのだが、そこは相当見晴らしもよく、「見張り台」や「のろし台」の場所には充分なったと思われる。
山城の時代の城は「華々しい戦いの場」ではなく、見張りや情報伝達の機能をもった場所で、「攻められたらさっさと逃げる!」と言った識者の言葉は説得力がある。
 「ふじ城跡」ではないかといわれている所がいくつかあるのだが、もっとも有力なのは「城」の地名が残っているところ。大藤のちょっと北。
 本丸と思われる構造があり、今は「山ノ神様」と「鹿島様(大きいほう」の石造りの祠があってそこでは8月16日の夜部落世帯1人が出て「山の神の講」をする。
 空堀と思われるところが2箇所ある。それが、その北側に地名「堀切」として残ったと言われている。
 美麻八坂線からは木が大きくなって見えないし、想像もしにくいのだが、そこは相当見晴らしもよく、「見張り台」や「のろし台」の場所には充分になったと思われる。
 山城の時代の城は「華々しい戦いの場」ではなく、見張りや情報伝達の機能をもった場所で、「攻められたらさっさと逃げる!」と言った識者の言葉は説得力がある。
* 旧庚申跡 [#x15dce7a]
小藤の上からのいり口の坂道を「おこしん坂」と言う。
小藤の中心に観音堂があり、近年の庚申塔はそちらに建てられているが、それより以前のものがそこにある。
そこには一字一石供養塔があり、「  」と彫りこんであり、経典の一文字を石に記して埋めたもので、道路改良の際に出土したこともある。
 小藤の上からのいり口の坂道を「おこしん坂」と言う。
 小藤の中心に観音堂があり、近年の庚申塔はそちらに建てられているが、それより以前のものがそこにある。
 
 そこには一字一石供養塔があり、「  」と彫りこんであり、経典の一文字を石に記して埋めたもので、道路改良の際に出土したこともある。

日本回国供養塔は「  」と掘り込んであるが、札所めぐりか講で全国を回った記念に据えたものか、安曇の郡(ごうり)二重村、恵蜜の記名がある。
 日本回国供養塔は「  」と掘り込んであるが、札所めぐりか講で全国を回った記念に据えたものか、安曇の郡(ごうり)二重村、恵蜜の記名がある。