美麻地区の現在の自治会と地区名。

自治会は、北から 青具、千見、新行、二重、大塩 の5つ。
地区数は     18  8  6  5  9 計46。

集落名とその由来について

青具
峠・・・・・・昔は白馬と美麻の境で、一番高い所にあったから。
袖・・・・・・服の袖のように他の集落から離れていたから。
大倉・・・・・昔殿様が来たときに木が沢山生えていて光がなく「おおくらい」と言ったことから
川手・・・・・姫川の上流で川の隅にあるから
石原・・・・・不明	
塩の川・・・・大昔の海だった頃の塩水が流れたことから。
日向・・・・・一日中、日に当たっているから。
米山・・・・・昔、新潟の米山から来た人がこの地を開拓したことから。
旭団地・・・・不明
一宇田・・・・昔、田が一町あり一町田から一宇田になった。
矢久・・・・・不明	
万中・・・・・不明
片岡・・・・・不明
奈良尾・・・・不明
花尾・・・・・田と畑の面積が半分だったことから
矢地・由久保・不明	
藤・・・・・・不明	
池の平・・・・水が多く噴出しているから。昔は岩が崩れて川がふさがると、水が溜まって池のようになると考えたことから。

千見
本村西・・・・千見城のもとにあり、千見地区の中心地でもあるから
本村中・・・・〃
本村東・・・・〃
境の宮・・・・上水内と北安曇の郡境にお宮が建てられているから
三百地・・・・不明
菅ノ窪・・・・沼地みたいな所に菅が沢山生えていたことから
中ノ崎・・・・昔の地名から来ていた名前の所に家が建った
外山・・・・・昔は境の宮と一緒になっていて、境の宮から外れた所にあることから「外山」となった

新行
上手・・・・・新行地区の上手に位置することから
中・・・・・・新行地区の中心地だから
東・・・・・・新行地区の東側に位置するから
西の上・・・・西原の上に位置するため
西原・・・・・昔の地名だった所に、家を建ててついた集落名
西の下・・・・西原の下に位置するため

二重
湯ノ海・・・・湯の海には「湯の花」が混ざった水が出ていたことから。
元ノ関・・・・善光寺街道から来る人達の関所があったことから
宮村・・・・・二重の「水上神社」のある集落だから。
向・・・・・・善光寺街道の出てくる所だったから
向山・・・・・善光寺街道から来た勅使を向かえる山だった為。

大塩
北村・・・・・大塩地区の北側に位置するから
高地・・・・・
西平・・・・・「こんぴら山」という山から見て西にある平な地だから
中村・・・・・大塩地区の中心に位置すうから
中村団地・・・中村地区に当時の村営住宅を建設したときに名づけた。
南村・・・・・大塩地区の最南端中心に位置すうから
中の貝・・・・昔はちがう呼び名だったらしい
峰・・・・・・大塩地区の高い所に位置するから
日影・川下・・日影(昔は森林が日光を遮っていて一日中日があたらなかったことから)
       川下(美麻の金熊川の一番下に位置する集落だから)

現在の地区のくくりとしては使用していないもの

千見・・・・・狭い地形のことを「せみ」を言うから
本村・・・・・千見城のもとにあり、千見地区の中心地でもあるから
仲馬・・・・・昔は「帳場」と言ったらしく千見城の番人がそこで受付などの帳面をやっていたことから「帳場」になりそれがなまって「仲馬」になった。
塩の入・・・・塩を千見城に運び込む時に使った道から付いた名前
駒返・・・・・昔侍の乗った馬が登れる程の坂道があったことから
南田・・・・・南側に田が位置が位置するため

大塩
青木平・・・・杉などの青い木が並んでいて上の方が平らに見えるから。「青木」と呼ばれる木が生えているから
宮の脇・・・・大塩の「富士浅間神社」の脇にあるから
新田・・・・・新しく田を拓いたことから

ここに掲載したものは、平成18年11月11日に行われた、山留の収穫祭の個人研究発表で発表されていたものです。
この発表をされた生徒は、今年で3年目の山留生活であり、卒業の年でもあります。
過去2年美麻地区のことについて調べたことを、何かの形として後世に残したいという思いで
「美麻地区の地図」を作成したそうです。

写真

現物は、山村留学センターに保管してあります。