魚の京を水源とする用水整備 Edit


 「藤に嫁ぐか、いばらを背負うか?」
 かって、藤の生活条件はかなり厳しいものだった。誰もが認める傾斜地が生活基盤で、水田用水はもとより、飲み水にも事欠いた。
 そこで魚の京(長野大町線最高地から青具より300メートル位)からの引水を企てた。
 水車の利用者等からの水利権の取得などに苦労したようだが、ため池部の地権者(大町・金原氏)には快諾を得たから「地域上げての感謝」は今も続く。
 昭和8年頃から計画し、昭和11年に出来上がったが、途中2箇所谷を渡るところがあり、「下から湧き上がってくる水」を目の当たりにして「万歳する古老」がいたそうだ。
魚の京水路.jpg

                            美麻村の100年から

 測量や材料費の応援は関係機関から受けたが、労力は全部自前でまかなった。
 その後の改良や修繕も多くはこの方法が受け継がれ、用水を通じて今も「藤のまとまり」が維持され、過度に行政機関には依存しない自律・協働の風習が培われている。
 藤にとって「協働」は「自律した藤の方針」を行政が手伝うこと。
 この水源、用水の維持に関する地域の思いは強く、独特である。


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