• 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
*美麻のお祭りを紹介するページです [#a7d5d9fb]

#contents
**「二重の祭」(二重水上神社の紹介) (up) [#ge0e41fe]
-二重には舞台が4台あります。
過去には4台が揃って出てにぎやかな祭りが行われました。しかし、今は人手が少なくなってしまい4年に1回となってしまいました。今年は、湯の海のまわりとなりましたが、4年ぶりの組み立てに苦労しましたが、先輩の力と全員が力を合わせて、舞台を組み立てることができました。人形の飾りは、二宮金次郎であります。出来上がった喜びのひと時の写真を送ります。


鎮座地 大町市美麻 二重字朱引内9152
御祭神 国狭槌神(くにのさづちのかみ)
 創立年代不詳であるが、先代よりの口碑によると和銅元年国狭槌神を奉祀して八王子大明神と称し、旧二重村の産土神である。
 仁科城主所領の時代は代々参拝して奉納品を献じられた。戸田松本藩主の崇敬厚く定紋入り入り幕を奉納された。享保四年九月の棟札がある。現本殿は文政八年建立。九月二十三日の例祭には製作年代不詳の神輿の巡業があり還御して祭典を終了する特殊神事がある。この巡幸には裃を着て帯刀した警護員四名、神職総代、幟八本を持った物が供奉(ぐぶ)する。
(書籍「大北地方の神社と文化」より)

※水上神社は傘木さんが宮司だそうですのでお話を伺ってみるのも良いかと思います。
&attachref(./mizukami02.jpg,50%); &attachref(./mizukami01.jpg,50%);
左:舞台 右:神輿(昨年)&size(10){(撮影市民農園金子さん)};

&attachref(./Image12.jpg,50%);
舞台と花火(今年)&size(10){(一枚に収まらなかったので合成です。こんな感じでした)};
- 還御ってどう言う意味ですか?だれか教えて!「御輿巡行のいわれ」が知りたいからです。 -- [[takeyama]] &new{2006-11-10 (金) 22:01:48};
- 「還御」はこの場合ですと神輿が地区内を巡って神社に戻ることのようです。 -- [[taiko]] &new{2006-11-13 (月) 22:06:50};
**「大塩の祭」(大塩のお宮紹介) [#qf687339]
富士浅間神社
鎮座地 大町市美麻 大塩字宮2708
御祭神 木花咲耶姫神 少彦名神 建御名方命 久比古神 山祗神 
    武甕槌神 菊理姫神 裂雷神 大巳貴神
御祭神 木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)
    少彦名神(すくなひこなのかみ)
    建御名方命(たけみなかたのかみ)
    久比古神(ひさひこのかみ?・詳細不明)
    山祗神(やまつみのかみ?・詳細不明)
    武甕槌神(たけみかづちのかみ)
    菊理姫神(くくりひめのかみ)
    裂雷神(さけいかづちのかみ)
    大巳貴神(おおなむちのかみ)
 当社縁起には、「貞観9年9月(832)、竹内民部守、駿河国大宮浅間社より、
御分神勧請祭祀せり」と伝えられている。
 犀川支流の金熊川の上流の台地に設立され、旧大塩村の産土神と信仰を集め現在
に至る。 拝殿には、江戸末期から奉納された大小の絵馬が十数点ある。また元禄
11年(1698)真面九兵衛の建立による神楽殿には、直径4.3mの回り舞
台が現存している。また延享2年(1745)高遠の石工原利兵衛の銘がある灯
篭一対がある。本殿・神楽殿・絵馬十二面は 旧美麻村指定村宝(大町市)とされ
た。(書籍「大北地方の神社と文化」より)
毎年9月22日・23日には五穀豊穣・家内安全を祝い祭典がとり行われている。
祭が盛んなころは引き舞台4台・神輿1基が揃い盛大な祭が執り行われた。
しかし近年は祭の簡略化や若衆の減少等により引き舞台が1台づつ4地区持ち回り
で曳行されている。22日の前夜祭に引き舞台が曳行され、境内では地元
若連衆による模擬店等で祭を盛り上げている。
&attachref(./IMG_4191_02.jpg); &attachref(./IMG_4202_02.jpg);
&attachref(./IMG_4191_02.jpg,50%); &attachref(./IMG_4202_02.jpg,50%);

**「二重の祭」(二重水上神社の紹介) [#o45e8843]
鎮座地 大町市美麻 二重字朱引内9152
御祭神 国狭槌神
 創立年代不詳であるが、先代よりの口碑によると和銅元年国狭槌神を奉祀して八王子大明神と称し、旧二重村の産土神である。
 仁科城主所領の時代は代々参拝して奉納品を献じられた。戸田松本藩主の崇敬厚く定紋入り入り幕を奉納された。享保四年九月の棟札がある。現本殿は文政八年建立。九月二十三日の例祭には製作年代不詳の神輿の巡業があり還御して祭典を終了する特殊神事がある。この巡幸には裃を着て帯刀した警護員四名、神職総代、幟八本を持った物が供奉(ぐぶ)する。
(書籍「大北地方の神社と文化」より)
大塩南村祭囃子保存会の活動は[[こちら>活動団体/大塩南村祭囃子保存会]]

お宮に詳しい方お願いします。
とりあえず、写真だけ掲載します。
※水上神社は傘木さんが宮司だそうですのでお話を伺ってみるのも良いかと思います。
&attachref(./mizukami02.jpg); &attachref(./mizukami01.jpg);
左:舞台 右:神輿(昨年)&size(10){(撮影市民農園金子さん)};
** 藤井神社の紹介 [#s121cd51]

&attachref(./Image12.jpg);
舞台と花火(今年)&size(10){(一枚に収まらなかったので合成です。こんな感じでした)};
- 還御ってどう言う意味ですか?だれか教えて!「御輿巡行のいわれ」が知りたいからです。 -- [[takeyama]] &new{2006-11-10 (金) 22:01:48};
- 「還御」はこの場合ですと神輿が地区内を巡って神社に戻ることのようです。 -- [[taiko]] &new{2006-11-13 (月) 22:06:50};
藤井神社は昭和22年まで二重の水上神社に祀られていました。
詳しくは藤井神社のページ『http://miasa.info/index.php?%C6%A3%2F%C8%FE%CB%E3%A4%CE%BA%D7%2F%C6%A3%B0%E6%BF%C0%BC%D2』で

#comment

** 戴神社の紹介 [#g0701334]
新行の産土神で、永宝元年創立、祭神は『天ノ手力雄命(アマノタジカラオノミコト)』(戸隠神社奥社の祭神と同じ)
信府統記(松本藩が享保9年に編纂した文書)に『新行新田村の権現社は戸隠勧請の社と見え・・』と記されている。
戸隠神社と関係があったことが判る。

永禄年間の川中島合戦に際して、戸隠神社は兵火の難を避け、権現山に社殿を建て、神霊を移そうとしたが、戦火が収まったので実行されなかった。
その社殿跡を『戴神社の奥宮』としている。
なお戦国時代の上杉・武田両軍の戦火を避けるため、戸隠一山の大衆は小川村の筏ケ峯に神霊を移し祭祀を行った。奥院、中院、宝光院跡が現存することが知られている。
(平成4年、神社庁大北支部・神社総代会大北支会等発行『大北地方の神社と文化』から記した。)
- 戴神社のお祭りはどのように行われていますか。昔から変わっていないのですか? -- [[美麻中 長沼]] &new{2012-08-31 (金) 16:38:24};

#comment
*大町市の祭りと保存会 [#p1378a7d]
-若一王子神社 [[大黒町保存会>http://www.geocities.jp/daikokucyo_hozonkai/index.htm]](new)
- 当保存会のホームページよりリンクさせていただきました。
http://www.geocities.jp/daikokucyo_hozonkai/index.htm -- [[大黒町保存会]] &new{2008-08-19 (火) 11:48:54};
- 大黒町保存会さんリンクありがとうございます。
リンク集のページにお祭りのリンクを作らせていただきます。また、一番下に大町市の祭りと保存会というのを作りました。今後とも情報交換含めてよろしくお願いします。 -- [[おおつか]] &new{2008-08-19 (火) 16:34:52};

#comment