青艸(佐藤理洋)の
身勝手「野鳥歳時記」

発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
住所:
北緯32度32分29秒 東経131度40分39秒
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:2000年11月創刊

ご意見・感想等は発行人までお願いします。(^_^)  

青艸(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(55)(2005年9月3日)

◆ブルートレイン「彗星」◆

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 別添写真上段は、我が家の庭から写した宮崎県内のJR日豊線を走る唯一のブルートレイン(寝台特急列車)「彗星」。

 丁度、私が大阪の大学に進学した頃に走り出した列車で、大学の卒業式の帰路に母と乗った全日空機のエンジントラブルで、それはそれは恐ろしい目に遭って以来、飛行機嫌になった私は、就職後は、本州方面への出張や旅行の際には、この列車を「愛用」してきた。

 子ども達がまだ幼少の頃、家族5人で岡山へ行く際に、1日早い切符で間違って「彗星」に乗ってしまい、とんでもない目に遭ったことや、一足先に私だけが延岡へ帰り、家族が帰ってくる日に駅に迎えに行ったら、子ども3人を連れた妻が延岡駅で「降り」遅れて、とうとう改札口に現れず、怪訝に思いつつ自宅へ帰ったら、その先の「日向駅へ迎えに来て。」と電話があって、そこまで車で行ったこと等々、今思えば懐かしい思い出が沢山ある。











 取り分け、今年25歳になった長男が、幼稚園生の時に連れ帰った、今は亡き愛猫「トリ」をダンボール箱に詰め込んで連れて岡山へ行った時など、その箱を破り開けて「トリ」が箱から脱出し、寝台列車の車両をトットコ・トットコ闊歩しだして大変なことになった事件などは、忘れられない思い出だ。

 私の「昭和と平成初期」には、「彗星」はなくてはならない長距離交通手段だった。

 お陰で、私が係長に昇格した「企業誘致係長」の年に、大阪で「企業立地フォーラム」を開催した翌日の朝、宿舎のホテルロビーで市長を見送った際に、市長から「何時の飛行機で帰るの?」と尋ねられて、正直に「私は、飛行機にはよう乗りませんので、『彗星』で帰ります。」と答えたら、1年で「企業誘致係長」を首になった。

 近年は、特に大学時代の友人、駄田井一郎君が剣岳で遭難死してからは、年末の長野県白馬へのスキー行の度に、「彗星」の終点の京都まで乗って行って、朝8時前に到着するとその足で西本願寺へお参りをして、駄田井君や、その年に亡くなった親類、友人、知人の冥福を祈ってから白馬へ向かうことが習慣になっていた。

 その「彗星」が今月のダイヤ改正で廃止になるそうだ。

 自分より一足先に「退職(退役?)」する「彗星」に、深い惜別感を感じる。


車内販売

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 昨年の年末に亡くなった義父の初盆墓参のため、8月中旬、妻と二人でその「彗星」に乗って岡山の妻の実家へ行った。

 ところで、今年の4月から、宮崎県内のJR日豊線を走る特急列車から「車内販売」が消えた。

 そのため、夕刻(午後7時前)に延岡を出発する「彗星」を利用する際には、弁当、つまみ、酒は事前にスーパーやコンビニ、駅のキオスク等で購入して乗り込まなければならなくなった。

 その8月中旬の乗車の際、我々の寝台の2コマ先に乗車しておられた、言葉から推察して、恐らく北陸辺りからの旅行者と思われる親子4人組みの旅行者は、その事情を知らなかったようで、検札にきた車掌さんに「夕飯の弁当を買いたいのだが、停車時間が長い次の駅はどこか?」と尋ねていた。







 「大分で5分程止まりますが、午後9時を過ぎていますので、ホームのキオスクは既に閉店しています。一旦改札を出て、正面にある駅の売店をご利用下さい。そのためには、○号車が出口に一番近いので、あらかじめその車両に行っておられた方がいいですよ。」と答えていた。誠に親切な説明と感服したのだが・・・。

 それから、その4人家族は、買出しに走るお父さんに希望メニューの注文を始めたのだが、カーテンを閉めた寝台の中で読みたかった本を見ていた私は、お母さんが「エーと、やっぱり私は、ビールとチュウハイ。」と言った時には、思わず声を出して吹き出してしまった。

 まだ小学生の中ごろと見うけられた子ども達2人の注文は、勿論「お弁当」だった。


お弁当は買えたか?

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 結論から言えば、食中毒が一番恐ろしいその時期に、夜の9時まで梅の屋さん(大分の駅弁の老舗)が「弁当」を売っているわけはなく、「カマボコ」「チワ」・・・、必死で売店まで走ってお父さんが買って来た食料は、兎に角お腹を満たしてくれそうなものだけだったようで、「お弁当がたべたかった・・・」とむずがる子ども達にお父さんは、「この際、お腹が一杯になれば、何でもいいではないか!贅沢を言うな!」と怒鳴っていた。

 それだけなら「そうだ、そうだ、残念でした・・・」ですむのだけれども、次の停車駅「別府」を過ぎたところで、事件が起こった。

 検札に来た車掌さんをつかまえたその4人組みのお母さん曰く、「お土産を買いたいのですが、この列車は、『博多』に何時に着きますか?」







 私は、世間をはばからず寝台の中で大声で笑ってしまった。

 なんで笑ったのか分からない人は、「歳時記」の読者には、いらっしゃらないと思うのだけれど、万一に備えて説明をすれば、「彗星」は小倉を過ぎて門司から関門(海底)トンネルを経由して山陽線に入るのであって、全く反対方向の鹿児島本線の『博多』へは行くはずがありません。

 仮に、万一、「彗星」があろうことか『博多』へ行ったとしても、到着時間は、午後11時か午前0時だから、売店はおろか駅ビルの商店街も店を開けている訳がなく、このノー天気なお母さんの「世間知らず」ぶりに思わず笑ってしまったとしても、神様は、許してくださるでしょう。


民営化って何?

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 昭和62(1987)年4月1日に、旧国鉄が分割民営化された。

 当時、日豊線の列車運行拠点であった南延岡駅にいた、機関区、車掌区、保線区、信通(信号通信)区などのおよそ400人の国鉄職員は、蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、わずか数十名になってしまった。

 駅前で寿司屋を営むKさんは、売掛金を踏み倒されるのではないかと戦々恐々としておられたそうだが、そのような不埒者は1人もいなかったと後に伺った。

 そして、その後にまず新幹線の「食堂車」が廃止された。続いて、大好きだった「彗星」などブルートレインの「食堂車」もなくなった。更に日豊線では、上記のように車内販売すらなくなった。






 勿論、採算が取れないのだろう。だから、民間企業は、客の不便などには目もくれず、バッサリ、サービスや営業そのものすら廃止する。長い年月と膨大な労力をかけて延岡市に進出したスーパー「ダイエー」は儲からないと見るや、開店3〜4年にして店を閉店した。営利企業の全く持って当然の論理であろう。

 事のよしあしを論ずる資格は、私にはない。しかし、郵政民営化は、間違いなく、貯金を1千万円も持てるわけがない我々中産「以下」階級の生活を直撃するのだろう。


バス停『元郵便局』

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 その証拠が、私の住む延岡市に隣接した林業の町「北川町」の国道10号沿いのバス停(↓写真)にある。

 今回の総選挙以降、こんなバス停がやたらと増えるのではないか?

 そしてその犠牲者は、過疎に悩む田舎の住民であることに間違いはない。








 このことを争点にして以後延々と続くであろう「構造改革」という名の下の「民間にやらせても儲からないであろう公共サービスの廃絶」を政策課題の主眼とする日本国内閣総理大臣の、あの胡散(うさん)臭い中分け頭髪をあと何年私は見続けなければならないのだろう。

 私の仕事メモには、「そんなことは、あなた方、地域住民のお話の中で解決してくださいよ・・・。」と言いたくなる様な問題も少なくないと言うのに・・・。

 あの中分け頭髪のオッサンがわが国の首領として居座る時間が長ければ長いほど、わが国には、かつてのあの忌まわしいファシズムが早く到来するような気がしてならない。

 この恐ろしい予感が当たらないことだけを私は祈っている。

 

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