他の地方の小中学校の校庭のことはよく知らないが、すくなくとも当地(宮崎県)の小中学校の校庭には、どこにでも栴檀の大木が何処かに茂っていて、殆どの校庭では、そこの樹木の主役然として、枝葉を茂らせているように思う。
これは、「栴檀は双葉より芳(かんば)し」、すなわち、「栴檀は発芽の頃から早くも香気あるように、大成する人は子どもの時から並はずれてすぐれている。」(広辞苑)の例えから、「少年老い易く学なり難し。」「鉄は熱いうちに打て。」へと派生した「大器晩成論」否定の教育哲学によって、「子どもたちよ、早く芽を出せ柿の種」へと転化した我が国の戦後教育の価値観によるものであろうか?
なんのこっちゃ?、訳分からん???
50歳になる今日まで、私は、先の、「栴檀は双葉より芳(かんば)し」という諺を恥ずかしいことに、単純に「栴檀」は「双葉」という植物より芳(かんば)しい、と誤って理解していた。
この誤りを正してくれたのは母である。
今日、母、妻、長女、長女の長女、弟、弟の長女、私の総勢7人で野尻町のノジリコピア他へ出かけた。
途上、今年76歳になった母が、高岡町の国道10号沿いで藤の花の紫よりうんと控えめな紫色の花をたわわにつけた栴檀を見つけて、これまでに勤めたたくさんの小学校の校庭の思い出話にダブらせて、栴檀の話をしてくれた。その時、先の広辞苑にある「栴檀は双葉より芳(かんば)し」の意義を教えてくれて、栴檀の花の香の慎ましやかだがほのかに香る素晴らしさを話してくれた。
おしょってきない
以前、私が母のイエスマン(口ごたえをせずひたすら「はい!」と言うことを聞くこと。)になった事情は、この「乱杭」に書いた。
しかし、今日はびっくりした。
私は、今日まで、清く正しく美しい月光仮面がもし女であれば、母のような人だろうと思っていた。
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ノジリコピアからの帰路、「往路に見た栴檀の木のところで止まって、匂いを嗅ぐは・・・」と言ったら、「そうしない(そうしなさい)。」と言う。
件の栴檀の木の所に来て路肩に車を止め、匂いを嗅ぎに行こうとした私に母は、「枝をおしょってきない(へし折って持ってきなさい。)」とのたもうた。
「お母さん、そんな言葉は、月光仮面のお母さんのイメージを台無しにするから、できれば死んでから言ってくれない!」そんな気分でした。今もって母も進化するんだ・・・
おしょりました
衰えたとは言え、中学生時代、三段跳びで県大会2位の私です。ぴょんと飛びついて、国道沿いの路肩にいっぱいの花をつけた栴檀の木の一枝を罪深いことに「オショリ」ました。
車に持ち帰って、実家まで帰る車内に、「オショッタ」栴檀の花のなんともえもいわれぬ香が立ち込めました。
上の写真は、実家の玄関の花瓶に刺された、私が母に教唆され「オショッタ」栴檀の花です。
刑法上の判例では、母が主犯、私は従犯ですが、私が母のイエスマンであると公言してはばからないことを根拠に、自身も「そうすることが正しい行為である。」と信じる確信犯であるとして、私も共同正犯(どっちにも同じ罪がある。)だとする学説もあります。
さて、貴方が裁判官であれば、この暴挙に対して、母と私の量刑は如何様に判決されますか?
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