「継続は、力なり。」とか言うけれども、皆さんには、これは継続していますと公言できるもがありますか?
私は、中途半端で、尻切れトンボのいい加減人間なので、これは30年近く続けています、と公言できるものが殆ど無い。
その中で考えると、たった3つだけ、私の人生にとって力になったかどうかは別にして、「続けている。」とはっきり言えるものがあった。
1つは、喫煙。これは18歳から始めて今日まで、途中の気まぐれ短期間禁煙の時期を除いて、自慢にはならないことを十分承知の上で、ずっと継続しております。ハイ・・・
2つは、この「乱杭」の発行と同時期に始めた「鳥見」、いわゆるバード・ウォッチングというもので、お金も掛からないし、野鳥を通して季節の移り変わりを直に感じられるため、今日まで続けております。これは皆さんにもお奨めしたい!
3つは、日本陸上競技連盟の公認審判員。社会人になった1975年に資格を取得して、今日まで、28年間続けてきました。
陸連の公認審判員になると「公認審判員手帳」というものを持たなくてはいけないのですが、その手帳の後覧に「審判記録」というものがあって、私が出会した競技会の年月日、大会名、担当した審判の仕事が全部記録してあります。既に1冊は満杯となり、今は2冊目の中頃です。
私の手帳は、今、昇格審査のため日本陸連に行っているので、正確には分からないのだが、20年くらいから「アナウンサー」という任務をさせてもらっている。
陸上競技場に流れる、レース出場者紹介、記録の発表、現在進行中の競技の途中経過のお知らせなどの、あのアナウンスです。そう言うと、「ああ、あれね!第1のコーーース」と反応する人がいらっしゃるが、それは、水泳です。
こんな話は、過去にも何回かこの「乱杭」にも書いてきたけれども、今年も、延岡市内で最大の陸上競技イベント「2003ゴールデンゲームス・イン・のべおか」が5月24日の土曜日に開催された。
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午後0時30分スタートの第1レースから午後9時30分スタートの第29レースまで1500メートルから5000メートル(殆どは5000)まで、延々9時間以上、中学生、高校生、大学生、実業団の選手が延岡市西階陸上競技場を反時計回りに走り抜ける、一見短調な、実は気の遠くなるほど「人間的」な競技会です。
その日も、それらのレースのアナウンサーを他の4人の方と2人の英語通訳の方とでさせていただきました。
何故英語通訳が必要かと言うと、各レースの目標タイムに沿って、そのレースを引っ張ってくれる外国人選手のために、目標のラップ、スプリットタイムどうりに走れているかをその彼に知らせためです。
レースの模様は、その現場で直に観戦された人や、ライブでワイワイ(延岡のケーブルテレビ放送)、翌日のUMKテレビ宮崎の録画放送をご覧になった皆さんも多いと思いますので、とやかく言うことはよして、翌週の26日(月)か27日(火)に、職場の駐車場へ朝、車を入れていたらどなたかから、「FMラジオであんたの声が流れていたよ。」と言われ、「あーそうですか。」と土曜の中継録音を流したのだろうな、位に思っていました。
今朝、通勤途中の車の中で、7時40分過ぎにFM宮崎の「Joy・FM」を聞いていたら「男子5000競走A組の4800メートル通過は・・・」と聞き覚えのある声がして、「えっ?」と思ったら、なんと自分の声でした。
その後も、トップ選手(大塚製薬の岩佐敏弘君)の大会記録更新の望みが薄くなり、並み居る実業団の選手を押しのけて2番手につけた佐久朝聖高校3年の上野裕一郎君のラストの激走と彼自信の自己記録の更新をアナウンスする私の声がカー・ラジオから聞かれました。照れるぜ・・・
以前書いたように、遠近両用メガネがなくては、アナウンスが出来なくなりましたが、アナウンサーに限定せず、「貴方は老いぼれて、役に立たないからもう来なくていいです。」と言われるまで、私のライフワークとして、陸上競技の審判員を元気で生涯続けて行きたいものだと思っています。
※添付の写真は、以前「乱杭119号」にも載せたと思いますが、2001年の同大会の折、夕刊デイリー新聞社の佐藤さんが写して下さったものです。
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