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発 行:ひょうすぼ社 |
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青草(佐藤理洋)の身勝手「野鳥歳時記」(22)(2003年6月27日)
0 6月25日(曇り)、26日(晴れ)と2日連続して、城山でサンコウチョウの声を聴くことはなかった。
27日(曇り、晴れ、時々ブタ、じゃなくて小雨)。
6月9日に初めて声を聴いてから、2日連続で声を聴かなかったことはなかったので、正直、心配になった。
朝から、何時もの城山の北側、こんもりした大木の茂みから、盛んに鳴き声が聴こえた。心底、ほっとした。のもつかぬ間、午後、その声が聴こえる辺りの林縁の木に、激しくわめくハシボソガラスが突入していた。何を狙っているのだろう。
どうか、来週の月曜も声が聴かれますようにと、年甲斐もなく祈ってしまった。
0 昔、昔、ヒバリがお日様にお金を貸したのだけれども、いっこうに返してもらえないので、今は、あのように空の太陽に向かって高く高く飛んで「日一分・日一部(ヒーイチブ・ヒーチブ)、月二朱・月二朱(ツキニシュ・ツキニシュ)と鳴いて、お日様に貸した金の利払いを催促しているのだそうだ。 自然界の法則から言えば、大気圏外に去った太陽から、債権の回収は不能と思われるので、これも「不良債権」の一種だろうか。 ところで、14年前、52年の人生中をヒバリのように歌い続けたもう一人のヒバリがこの世を去った。美空ひばり・・・ 歌謡曲などといった狭隘な範疇には絶対に納まりきらない、なんと広い、どんなジャンルの曲でも見事に歌いきった歌手であったのだろうと、驚嘆する。
今、存命であれば、年末の「延岡第九コンサート」にアルトのソリストとしてお招きして、番組中、唯一聴かれなかったクラッシック曲の歌唱も聴いてみたいと思える人だ。 この人のことをその時まで、それほど意識したこともなかったのだが、亡くなった年(平成元年6月24日)のお盆だったと思う、母がポツリと「美空ひばりという人は、戦後、コテンパンに打ちひしがれて自身をなくし、ボロボロになっていた日本人を元気付けるために神様が使わされた救世主だったように思えてならない。だから、その役目を終えて、昭和の終わりとともに亡くなったのだと思う。」といった趣旨のことを私に話した。 番組を通して、少女時代から亡くなるまでの彼女の人生を見ていると、歌の上手さは言うに及ばず、日本の芸能人が持ち得ない、並はずれたショーマン(ウーマン)シップの持ち主であったのだとつくづく思い知らされる。 それこそが、母が言った「神様から授かった使命」を果たすための技だったのだろうか?
それでも、公的資金の導入を催促しない所は、何処かの国の金貸し会社と違って偉いものだと思う。
今晩の午後8時から、NHK・BS2で夜中まで「世紀を超えた美空ひばり」という特集が組まれて、今も放送が続いている。
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