発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

ご意見・感想等は発行人までお願いします。(^_^)  

乱杭176号(2004年2月19日)

◆「ことのは」(1)桂 文治◆

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 忘れもしない小学校5年生の時に国語の通知表に5段階評価で「2」をもらったことがあって、小学校・高校の教師をしていた両親は嘆き悲しみ騒然となって、父が思いついた「長男の国語学力強化策」は、「小学校在学中に国語で『5』を取ったら、お前に500円やる。」というものであった。当時(昭和41年)のレートから換算すると、現在なら5,000円位だろうか?

 見事、私はその500円を父親からせしめたが、そのような事情があったからだろうか、以来「国語」は、私にとって「得意教科」ではないが「好きな教科」に化けた。まず、国語辞書を引いてみることが好きになったし、「馬に人参」のような唯物論的強化策もあながち間違いではないことの証左ではなかろうか?

そんな訳は、ないかな???

 とまれ、そのようなことがあって私は、「言葉」に興味を覚え、今日では、私のライフワーク(と勝手に思い込んでいる)陸上競技場でのアナウンスをしながら「この言葉の用法は、これで正しいのだろうか?」と自問しつつ、とにかく不安になったら辞書を引く、という生活を送っている。

 そのような中、毎号購読している雑誌「サライ」は、「雑誌」と呼ぶには勿体無い、薀蓄(うんちく)が溢れ、「教示」に富み、「そうだったのか・・・」と開明される大好きな「(雑)誌」である。編集に携わっておられる小学館の担当者各位の熱意の程が毎号に沸々と感じられて、楽しく読ませていただいている。













 その2003年23号(12月4日)から
「新連載 今日から使える「粋な『ことのは』指南役/桂文治」の連載が始まった。ご存知の、あの永遠の「少年高齢者」、桂文治さんの連載で、「ひとつの言葉」、特に「江戸言葉」の真髄を深く正しく解説し、誤用・援用を説いて、「ハッ」とさせられる連載が始まり、以後、そのコラムを読むのが待ち遠しく、楽しみにしていた。

 その著者10代目桂文治(本名関口達雄=せきぐち・たつお)さんが1月31日に急性白血病による腎不全のため80歳で死去されたと報じられ、呆然となった。

 しかし、文治さんの死後も最新の2004年4号(2月19日)にも、その連載は続いており、どれだけ文治さんは原稿を書き溜めて編集者に渡していらしたのかと、車のフュエル・インジケーター(燃料計)がEを指して今にも車が燃料切れで止まってしまうのではないかと「ヒヤヒヤ」しながら走らせている気分で次号を心待ちにしている。文治さん、どうか少しでも多く「ことのは」を読ませてください。

 文治さんの文章が、どんなに素晴らしいものであるかを書くのは容易ではない。各所の図書館などで、皆さん直にご覧ください。


◆「ことのは」(2)秋山榮雄(しげお)◆

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 宮崎県北部の「地元密着の夕刊紙」デイリー新聞社の編集委員、秋山榮雄さんが、文治さんと時を同じくして1月24日に亡くなった。

 秋山さんと言えば、近年は、その紙面の1面左端下に欠かさず掲載されていた「牧水のうた」の著者として知られていたが、私の記憶違いだったのか、何度か「紙面の都合で『牧水のうた』は休みます。」ということがあったように記憶していたら、2001年2月に「文学に描かれた宮崎」を発刊された同紙編集部次長の佐藤隆一さんが、今日付けの同紙8面に書かれた秋山さんの追悼文的記事「『つづく』のまま終わった記事」の中で次のように書いておられた。

 「牧水のうた」は、スタート以来22年間、どんなに記事があふれても、この欄だけは休みなく掲載されてきました。牧水は生涯に八千首の歌を残したといわれていますが、この欄では約六千首を紹介。秋山さんの牧水全集はぼろぼろになっていました。毎日、その日に入稿されていましたので、昨年12月30日掲載分が最後となりました。











 ちなみに、この正月以降も秋山さんの「牧水のうた」は同紙の1面左下にこれまでとなんら変わらず掲載されていますが、これは、この欄のスタート当初の、その時節のものを再掲されているのだそうです。

 また、今日付けの同紙1面には、秋山さんが昭和51年3月18日から1年間にわたって同紙に連載された「ふるさと365日、探検・県北の民俗」が宮崎の出版社鉱脈社から3月に上巻、6月に下巻(各巻540ページ、3000円)として発刊されることも報じられていました。

 今年4月に小学校に入学する子供を持つ長女が生まれたのが、昭和51年1月ですから、ちょうど我が家の子育ての時期と符合するこの本を我が家の歴史の証のひとつとしても、私もぜひ1部購入したいと思っています。

 私個人は、秋山さんとは、殆ど面識がありませんでした。ただひとつ接点があったとすれば、宮崎県保育協議会延岡支部が1988年2月に発刊した「35年のあゆみ 延岡の保育」誌に、依頼されて書いた拙文「塀の中の懲りない1年」の文中に登場する延岡市立東海保育所で、トコトン私がお世話になった=手を煩わせた同保育所主任の秋山先生は、前記秋山榮雄さんの奥様であります。

 秋山さんのご冥福を心からお祈りし、「ふるさと365日、探検・県北の民俗」の出版を心待ちにしています。 合掌

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