読者の中で、ザ・フォーク・クルーセダーズの「イムジン河」の実演、若しくは録音を聴かれた方は、いらっしゃいますか?
失礼ですが、「はい。」と返事をされた方の大半は、記憶違いだと思う。
何故なら、この曲を彼らは、数度しかステージで歌っていないし、レコードは、とうとう発売されなかった。だから、「聴いた。」ことが思い違いでないのは、数度のステージを聴いたか、若しくは、深夜放送で数度放送されたこの曲を聴いた人だろう。その他は、「イムジン河」ではあっても、ザ・フォーク・クルーセダーズの演奏ではない、誰かの、または皆の合唱をそれと取り違えられたものと思われる。私は、残念ながら聴いていない。
何故、こんなにザ・フォーク・クルーセダーズ(以下、フォークルと略称。)の「イムジン河」にこだわるのか、自分自身も、よく分からない。
同じように、何故か私は、朝鮮半島のかの国にまた行きたい。
そこで思うに、私のDNAの何処かに、朝鮮民族の一部分があるのではないか、と疑っている。
ただ一日のフォークル復活コンサートの様子が、NHK・TVで放映された時の一番の衝撃は、'60年代の日本の放送界に拒否された「イムジン河」が、松山猛さんの努力で再翻訳(朝→日→朝)となる朝鮮語で、復活フォークルによって歌われたことだった。
フォークルのメンバーにとって見れば、プロとしての彼らの実活動期間が1年余と極端に短く、従って、世間に発表した曲数も限定されている中で、この曲だけが、生を受ける前に命を絶たれた子のように、日の目を見ることもなくお蔵入りになってしまったのだから、思い入れも強いのかもしれない。
「風になりたい」
シベリウスの交響詩フィンランディア中の「合唱」の歌詞をお知らせしたことがご縁で、長野吉田高校吹奏楽班(部)OGのK嬢から、当時の定期演奏会の録音MDを送って頂いた。
その定期演奏会の曲目中に、合唱付きのブームの「風になりたい」があって、吉田高校の合唱は、とても上手とは言えないけれども、一人一人の歌っている顔が見えるような、心を揺り動かされる感動的な演奏で大好きになり、それがきっかけで、ブームの「風になりたい」のCDが欲しいなと思ってCD屋さんに出かけた。
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アーチストの名前が「あいうえお」順に表示された「ふ」の棚の「ブーム」のインデックスがあるところで、運良く「風になりたい」の単品(昔なら「シングルレコード」でしょうか?)を見つけた。あった、あった、と思って右手をそのCDに手を伸ばした時、私の目線がわずかに左にずれた。その時、「イムジン河」という背表紙が、目に留まってウンッ?となった。
右手で「風になりたい」を商品棚から取り出しつつ、目はそのCDの背表紙に釘付けになり、瞬間的に、左手で、そのCDを棚から引っ張り出していた。
「34年前の録音」
「34年前の名盤が当時の音源のまま、リマスタリングで登場!」と銘打たれた「ザ・フォーク・クルーセダーズ」の『イムジン河』であった。そうか、フォークルも「ふ」だった。「歩(ふ)のない将棋は、負け将棋♪・・・」、アホカ・・・?
そして、今の今まで想像を逞しくして想像していたフォークルの「イムジン河」を初めて聴いた。
そこで、新たに分かったこと(私の理解の間違い)が2つあった。
1点目は、この歌は、楽譜となってたくさんの我々の同世代の人々に歌われてきたけれども、私が歌い知っていた「イムジン河」は、細かい歌い方で、かなり怪しく随分間違って歌っていたこと。
2点目は、フォークル復活コンサートがNHK・TVで放映された際に「乱杭」に書いたこの曲の「放送禁止」、「レコード発売さし止め」措置の理由が間違っていて、その本当の理由が分かったこと。
「放送禁止」措置について、私は「南」の側に立つ当時の大韓民国居留民団(民団)からの抗議で、と書いた。
ところが、次のURLの中で、この歌の訳詞者 松山猛さん自身が書いておられるように、「北」からの抗議ですッ止まってしまったことを知った。
他民族強制問題を考える
この点では、風聞、風評に囚われ、もっと言えば「予断と偏見による憶測」が私自身にあって、「南」と決めつけてしまった、と深く反省します。
2点目のうち、「レコードの発売さし止め」については、次号でご報告します。
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