発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

ご意見・感想等は発行人までお願いします。(^_^)  

乱杭183号(2004年6月5日)

◆「イムジン河」(2)◆

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 前号で紹介した、思いがけず手に入れたザ・フォーク・クルーセダーズのCD「イムジン河」を繰り返し聴いている。

 今号では、このCDを入手して分かった「レコードの発売さし止め」(と私は、勝手に誤解していた。)の経緯についてご報告します。というより、このCDのジャケットに、当の訳詞者、松山猛さん自身が「経緯」と思いを書いておられるので、それを引用します。

 ところで、話が脇道にそれて恐縮ですが、私の職場では、公共事業の用地取得に直接・間接に係る様々な事項をテーマとしてほぼ毎月、職員の研修をしています。ある時は税金の問題、またある時は介護保険、文化財。
 先月は「著作権」がテーマでした。

 前号でも紹介したニューメディア人権機構のホームページ中の
ふらっと-多民族共生-イムジン河 松山猛さん」のコーナーで「経緯」を書いた松山さんの文書の中にも、「レコード発売差し止め」にこの著作権問題が係っていたことが出てきます。

 曰く、「イムジン河」が第2弾として東芝音工(現在の東芝EMI)から発売されることになった。関係者はだれも曲の由来を知らず、朝鮮民謡だろうと作者不明のままシングル盤13万枚のプレスが済んでいた。ところが発売直前に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に作者がいて、原詞と違う、日本語歌詞も認めないという抗議があった。作詞は北朝鮮の国歌にあたる「愛国歌」を書いた朴世永(パク・セヨン)、作曲は高宗漢(コ・ジョンハン)。1986年2月、政治的配慮から発売自粛となった。

 また、研修によって知ったことですが、松山さんの「経緯」全文を引用すると、法律上少々問題もあるようです。ましてや、「イムジン河」をCDからコピーしてこの「乱杭」に添付してお送りすることは、完璧な著作権法違反となることを学びました。(恥ずかしながら、コピーは自己の楽しみにのみ認められていることは承知していましたが、メールに添付して送ると、その許された範囲を逸脱することを知りませんでした。)

 ところで、著作権は、何年存続するかご存知ですか?

 作者の死後50年間、は常識でしょう。それならば、加藤和彦、北山修、端田宣彦の3人の最後の一人が亡くなってから50年経てばフリーになるかと言えば、そうでもないようです。

 この歌には、上記のよう別に原作者がいますし、CDを制作したレコード会社の版権もあります。ことほど左様にややっこしくて、それは大切に保護されなければならない権利(知的財産権)であるようです。





























 前置きが長くなりましたが、ジャケットに記された松山さんの文章をお読みください。 

 僕が”イムジン河”という歌を初めて耳にしたのは、京都で育った中学生の頃のことだ。その頃朝鮮系の生徒と日本の若者は、ことあるたびにケンカばかりしているという現実をなんとかしたいという、純情な動機を胸に、サッカーの対抗試合を提案に出かけた時、当時銀閣寺近くにあった朝鮮中高等学校の、どこからか聴えてきたコーラスが”イムジン河”だったのだ。

 それから数年、十代の終わり頃にザ・フォーク・クルーセダーズの加藤和彦に、ステージで歌ってみたらとその歌をつたえた。 あの頃京都はアマチュアによるフォークソング・ブームの只中であり、そしてアジアの一画ヴェトナムでは、終わりのなさそうな戦争が続いていたのだ。

 戦争で傷つく人や破壊される文化や暮し、そして政治的対立による国家の分断。そんなことはもうごめんだし、早く世界が希望にあふれた人間の棲家となれるようにとの、願いをこめて詞を書いたのだった。

 ザ・フォーク・クルーセダーズのアマチュア時代の自主制作レコード「ハレンチ」が、思いがけなくも世間の注目を浴び、「帰って来たヨッパライ」に次ぐ、シングル・カット第2弾として用意された”イムジン河”は、あまりに政治的問題の種にされやすいと、発売を目前に、東芝レコードが発売を中止するとの判断をしてしまった。

 以来三十余年、この歌は封印されてしまったにもかかわらず、多くの人の魂の中で歌い継がれてきたのだった。当時ラジオ番組で数回流されただけだと言うのに。

 イムジン河はそれから、僕にとっても幻の流れとなりそうだったのだが、今から五年前に、在日韓国系の知人が、松山さんにはあの河を見る責任があると言われ、彼と共に朝鮮半島三十八度線への旅をしたのだった。

 厳寒の一月、凍てつく大気のもと、イムジン河周辺は白氷におおわれていたが、雪溶けが始まると、機雷が浮かぶとその日に聞いた。

 発売中止から三十年以上の時が流れたが、朝鮮半島には事実上の国境と言うべき軍事境界線が今もあり、また世界の各地では民族や宗教の対立による紛争が、ますますエスカレートするばかりの現実がある。

 イムジン河は、地理のうえの河だけではなく、実は人間と人間の間にも流れる、心のへだたりでもあるかも知れないと、僕は大人になって考えたのだ。

 二〇世紀に生み出された、イデオロギーの対立、そして経済の世界の南北問題、この世はこれからも複雑で在り続けるだろうけれど、自らの魂の窓を大きく開いて、他者を見つめその言葉を聴き、相手の文化に敬意を払うことから、僕達は生き続けていかなければならないのだ。

 今回、封印をとかれた”イムジン河”から、それぞれが乗り越えなければならぬ何事かを感じ、未来への希望の種を、多くに人に発見してもらいたいとこの一文を記した。

 松山 猛                               

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