ブンブンバエ
背中と腹部が青緑色に輝くあの「ハエ」のことを当地では「ブンブンバエ」若しくは「ブンブンベ」と呼ぶ。
次から次へと受信者の迷惑も顧みず送りつけられてくる「乱杭」を、しつこく顔面にたかるブンブンバエのごとく、小手で払いのけたい気分の方は、どうぞ、決して発行人は気分を害したりしませんから、率直にそう仰ってください。そうでないと、延々とこの私的新聞は送りつけられて来ますぜ・・・
日本新記録
アテネの陸上競技、今日の110mハードル予選(私が勝手にライフワークと思い込んでいる陸上競技のアナウンスでは、正しくは「110mハードル競走」と称します。あのギターを持った漫談師の口調で、なーんでか・・・?
答え:競技規則第168条にそう書いてあるから。つまらん答えで、御免なさい。)で、谷川聡君(32)が、13秒39の日本新記録を樹立し、2次予選に進んだ。
織田幹夫さんや田島直人さん、南部忠平さん等が、走り幅跳びや三段跳びで連勝し、跳躍種目がわが国の「お家芸」と呼ばれた時代を除いて、日本選手がオリンピックの本番で、日本記録を更新した記憶が、私にはない。
それは、私の勉強不足で、実は誰々がこんな記録の更新をしています、ということをご存知の方は、ご教示ください。過去の記録を紐解き、調べる気力を失った、いい加減な性格と不明を恥じず、お願いします。
それで、自己記録にも遠く及ばない結果に終わってしまいがちなわが国陸上陣の中で、谷川君の日本記録更新は、高く評価されるべきであると強く思う。
日本陸連は、(オリンピック)本番でのナショナル・レコード更新賞といった栄誉賞を設けるべきかもしれない。
日水連が設けたら、更新者が多すぎて連盟財政が破綻するかもしれないが、今の日本陸上陣では、その恐れはないだろう・・・。
私は、谷川君の日本新記録樹立をそれくらい高く評価し、称えます。おめでとう。
東京オリンピック
私が契約をしている地元のケーブルテレビの23chで、今夜(25日)、あの市川崑監督作品「東京オリンピック」を流していた。懐かしくて見入ってしまった。
今から思えば破れかぶれのようなでかいゼッケン(現在はナンバー・カードと呼びます。)17番を付けた哲学者のような故アベベ。誠実そのもの、田舎のアンちゃんのような77番の故円谷幸吉さん、今時のマラソンには貴方の様な年よりは走っておりまへん、と申しあげたくなるような、あの国立競技場で円谷さんを抜いて2位になった8番のヒートリー(英)・・・。そして、次のメキシコオリンピックで銀メダルに輝くことになる君原健二さんの姿も映し出された。
※ 訂正:乱杭188の記述、メキシコ(メコネン)をメキシコ(マモ・ウォルデ)に訂正します。
給水風景
先日、アテネで野口さんが金メダルに輝いた女子マラソンの熱戦を見たばかりなので、「東京オリンピック」当時の給水風景は、初めは異様だった。
そして、見終わった後に、その光景を執拗に写し続けた市川さんの意図が分かったような「気が」した。
映像によれば、出場選手は68名で、うち10名が途中棄権をしたそうだ。何キロ地点の給水ポイントか判然としないが、レースの終盤であることは間違いない。
映像に写し出された選手は等しく「立ち止まって」水を飲む。
中には、立ち止まり、今の日本のおじさんが栄養ドリンクを飲むがごとく手を腰に当てて悠々とコップの水を飲み干す選手、飲んだ後に係員に一礼してすたこら再び走り出す選手。水、そしてオレンジシュースと飲んだ末に、ホテルの朝食バイキングで私がするように「まだ取り残したものはないかナ?」とテーブルを見渡す選手。兎に角、先日の女子マラソンと比較して、余りにも悠長、お粗末な光景であった。
この人たちは、無償の栄誉のために走っていたからこそ、こんな悠長な、今思えば微笑ましい姿で、40年後にも私達に感動を与えるパフォーマンスができたのではないか、と私は思う。
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アベリー・ブランデージ
ニューヨークなどアメリカの中心都市の建設業で一代をなし、「ミスター・アマチュア」と呼ばれた当時のIOC会長A・ブランデージの閉会宣言が印象的だった。正確に書き取った自信がないので、間違いはお許しください。
「世代を超えて、オリンピックの心が
後世に伝えられんことを祈る。」
果たして、今、その思いは伝わっているだろうか?
最後のテロップ
40年近く前に、現作品を見た私の記憶には全くなかったのだが、市川崑監督作品「東京オリンピック」の最後の画面には、こんなテロップが書き込まれていた。
「人類は、4年ごとに夢を見る。
この創られた夢を夢で終わらせて
いいのだろうか。」
そして、感動的な閉会式の場面。
スタンドに詰め掛けた多くのわが国の観衆が、勝負の緊張から解き放たれた各国の選手団の放漫・無分別で幸せな閉会式会場への「乱入」を迎え入れるようにスタンドで白いハンカチを振っていた。
そうだ。
世界中であい反目する人々が、当時のこのスタンドの我が国民のように、オリンピック大会の期間中だけでも、皆白いハンカチ・白い旗を打ち振って、戦(いくさ)を止めて「腕相撲」だけで力を競うオリンピックなんかやったらどうだろう?
などと、アホな政治学士は考えた・・・
しかし、この白旗を振って戦(いくさ)止めて「スポーツに興じる。」精神。
これこそが古代オリンピックの原点ではないのか?
100年ほど前のその運動の復活エネルギーも同様だったのではないか?
高邁な平和主義的幻想を「乱杭」の読者に押し付ける気は全くない。
しかし、なぜ私達はこのようにオリンピック・ゲームにこれほどの高揚感を覚えるのか、しっかりと見据え、金メダル15個、メダル獲得数過去最高で、現在3位、とかいう国別対抗意識を捨てて冷静になり、国を超えた競技者一人一人のその努力をしっかり評価した上で、最高の競技者=最高の努力という側面をきちんと見てこのイベントを楽しみたいもだ、と自戒する。
勿論、敗者も同様の血の滲むような努力を積み重ねてきたことを忘れてはならないだろう。
オリンピック
日本人は、オリンピックが「大好きな国民」と言われる。
一方で肥大化したオリンピックをいろいろな角度から、とやかく言う人々もいる。
その両方に足を突っ込んでいる私のような人もいる。
今日の早朝、何万人収容できるか不明のメインスタジアムが、およそ自国(開催国ギリシャ)の金メダル獲得期待者がとりあえず1人もいない中で、満席になっている様子を見、一方、立派なスタンドを作ったのに、観戦者が閑散としているバスケットボールや野球の会場を見るにつけ、何万人もの観戦者の中で競技し「観客の後押しで世界記録が作れて感謝している。」と語った女子棒高跳び優勝者のロシアのイシンバエワの白めがちな緑の瞳が印象的だった。
更に、その決勝、当地で足掛け2日間のどちらもロシアの前記イシンバエワ、レファノワの鮮烈な対決は、国を超えて興味深かった。
特に、私がかつてファンであって、今は、最も嫌いな球団となった某日本プロ球団でPL学園出身の主力投手がするように、イシンバエワはポールを握り締めつつ、なにやら自己暗示のように「ЖИЙКЛГМ」などとつぶやいて走り出していた。
つい15年前まで、国民全員が無神論者と思われていた同国の彼女が、自分に語りかけるように、説得するように、言い聞かせるように、なにやら長々とつぶやいて助走路走り出す姿は、とてもいとおしかった。
とは言っても、「おじさん」という視点から言えば、ウエストと骨盤の幅がほぼ同等の彼女のプローポーションは、いささか「女らしさ」欠けると言わざるを得なかった。
(神の声) 叔父さん!偉そうにオリンピックがどうのこうのと言いながら、
何処をみろるンジャ????アホ!
あと5日
アテネの見てねもあと5日。
どんな感動が待っているのでしょうか?
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