発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

ご意見・感想等は発行人までお願いします。(^_^)  

私的新聞 乱杭193号(2004年10月24日)

◆52歳◆

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 10月22日、52歳になった。武田鉄也さんではないが、「思えば長く生きてきたものだ。」100歳まで、あと48年か・・・、などと妄想をいだく。

 高校時代の恩師から年賀状に「知命の今からが大切です。」とあった。

 「知命」の言葉を知らず、辞書を引いたら「五十にして天命を知る。」という意味であった。昨年、100歳までの折り返し点を回ったと思ったのだけれど、人生のマラソンレースは、42.195kmと言うふうにゴールまでの距離が定められていないから困る。

頑張らずにいさせて

 先月20日、従姉妹のご主人、深海達也君が癌のため亡くなった。46歳だった。余りにも早い死だ。私の父は兄弟が多く、その分従兄弟・従姉妹やそのつれ合いも大勢居るのだが、この乱杭を送って感想を返してくれるのは、悲しいことにこの深海君だけだった。

 お子さん達は高校3年、中学3年、小学6年。来春、皆人生の中のひとつの区切り、それぞれの学校の卒業を目前にしている。彼の、この世への名残りやいかに、と胸かきむしられる思いだ。

 今月11日、朝日新聞の生活欄「ひととき」のコーナーに、深海君の奥さん、美岐子さんが「頑張らずにいさせて」と投稿をしていて、それを読みながら涙があふれて文字が読めなかった。

 主治医は「がんばらない」「あきらめない」と仰っていたそうで、それを呪文のように唱えて夫婦二人で病と闘い、その様子から病棟の看護士さんたちは、彼らを「戦友」と呼んだそうだ。

 絶望の崖っぷちから転落するまいと踏ん張る夫を両手で必死でひっぱり上げようと彼女は戦ったのだろう。

 「そして私は戦いに敗れ、生き残った。」と彼女は書いた。

 私は、彼女と共に戦った戦友が、その壮絶・献身的な戦いぶりに感謝し、その魂が安らかであることしか祈れない。

幽霊

 これだけなら、私としてもなんとか、呻(うめ)く位で済んだのだろうけれども、彼女は続けてこう書いている。

 「幽霊でもいいから私に触れてほしいのに、それもかなわない。」

 もう、こらえようもない悲しさに包まれた。これほど愛された深海君がうらやましいほどに・・・

 率直に言うが、私は妻が、万一私より先に逝ったとしても(そんなことは絶対にないと信じているが)、彼女の幽霊にはお会いしたくない。何故なら、幽霊と言うものは、この世に何らかの未練や恨みがあって成仏しきれずに再びこの世に現れるものであって、彼女の幽霊は、私に対する様々な繰言を延々かつ理路整然と述べて、それから逃れ隠れるために、私は深い塹壕を山ほど掘らなければならないだろうから・・・。

 ちなみに、美岐子さんの投稿を妻に見せた後、「あんた、俺が先に死んだら、俺の幽霊に会いたいか?」と聞いたら、ニヤニヤ笑っていた。私と似たり寄ったりの意見であるらしいと思えた。

頑張って

 6〜7年前に、メキシコ・オリンピックのマラソン銀メダリスト、君原健二さんのお話を聞く機会があった。

 東京オリンピックで惨敗した君原さんは、次のメキシコを目指して凄まじいトレーニングを積まれた由。

 また、これは、別の本で読んだのだが、八幡製鉄(当時)の君原さんの社宅玄関の内側には「お客さんは、午後9時には帰ってください。」と書いた貼り紙がしてあったそうだ。それくらい家庭生活の中で節制もされた。

 ※ビール、ビールと呟きつつ、練習後のビールを楽しみに走った、とも仰っていた。

 君原さんのお話で最も印象に残ったのは、次のお話だった。

 「これだけトレーニングを積んで、生活を律して励んでも、世間の人々は許してくれないのです。会う人、会う人、知人も、全く知らない人も、『君原さん、頑張ってください!』と言う。これだけ頑張っているのに、これ以上どう頑張れと言うのか・・・? もう、たまりませんでした。そのような世間の期待の重さの犠牲者が、私は円谷君だったと思います。周りの期待に押しつぶされてしまったのだと思います。」




































 美岐子さんは、投稿の最後に「今は頑張らずにいさせて欲しい。」と書いていた。君原さんの話とは、少し視点が違うのかも知れないけれども、このセンテンスを読んで、熊本県人吉市のある施設で聞いた君原さんのお話を思い出しました。

 お通夜の夜、参列者が引けた頃、彼女に声を掛けたら、サッカーボーイだった深海君の亡骸に「この人が一番やりたかったことだから。」と彼のサッカー公認審判員の制服を着せてあげたと、話してくれた彼女に、私は「子どもたちもいるし、頑張らんといかんね・・・」と『慰めの』の言葉を掛けた。

 ちっとも慰めになっていなかったことをこの「ひととき」欄の彼女の文章を読んで反省させられた。ごめんね・・・。

ぼちぼち

 自分の誕生日の翌日、23日の「ひととき」欄に、美岐子さんと同じようにご主人を亡くされた熊本市の山下智子さんの投稿が掲載されていて、ご主人への愛惜の情を思いのたけ書かれた後、最後に「10月11日付けの深海さん、お互いボチボチいきましょう。」と結んでおられた。

 言語表現力の乏しい私は、やっぱり、「お二人とも頑張って!」としか申しあげる言葉がないのである。それしかない、人は、与えられた生を精一杯「頑張って」生き尽すしかないのだ、と思う。

誕生祝い

 長男から写真(↓)のフクロウの貯金箱が届いた。

 私は、フクロウの置物のコレクションをしており、うれしかったが、なんで貯金箱?

 妻に意見を求めたら、「僕の結婚式の資金をこれに貯めておいてください。」ってことじゃないの、と明解な解説があった。知るもんか!

 次女から、写真(↓)の自作のマグカップが届いた。

 前日、自分が作ったカップを送りましたのでお楽しみに、とメールが来ていたので、カップを見せつつ彼女が作ったものだと幾ら説明しても、そのカップを見た妻は、「市販品を買ったものだ。」と主張して納得しない。それ位、立派な出来栄えのカップです。底に彼女のイニシャル「の」の刻印がされていなければ、妻は今でも「市販品だ。」と言い張っているに違いない。

 このカップに注いで飲んだビール、そして焼酎のお湯割り、抜群に美味かったです。

 三重県在住のHさんからは、アメリカに留学されているお嬢ちゃんの寄宿先に先日行かれ際、購入していただいた写真(↓)の「オーデュボン財団」発行の野鳥図鑑をいただきました。

 フランス製のネクタイを贈って下さった母、着ているのかいないのか、分からない程軽いフィット感の肌着をくれた奥さん、そしてお祝いのメールを下さったみなさん、ありがとうございました。

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