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発 行:ひょうすぼ社 |
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青草(佐藤理洋)の野鳥歳時記(28)(2004年5月26日) 0 北朝鮮に拉致された方達のお子さん方が22日に「帰国」された。 昨年、ザ・フォーク・クルーセーダースのたった1日の復活コンサートで歌われたフォーク・ソング「イムジン川」のことを個人新聞「乱杭」に書いた。 その歌の中に「北と南を分かつ川の上を鳥は自由に行き交うのに・・・」と言った趣旨の歌詞がある。そして、「誰が我が祖国をこのように二つに分けたか?」と言った趣旨の歌詞もある。
どんどん、誰が原因かを遡っていけば、欧米列強の帝国主義とその植民地支配にまで、原因を遡れるのだろうか? そして、そのような列強の「拡大主義」に、明治以降の経済発展が閉塞させられ、結局、自らも「拡大主義」に陥った「日帝」(かの「南」の国では、当時のわが国のことをそう呼称している。)にも、大きな責任があるのではないか?
そんなことは忘れてしまいたい我が国民が、否応なくその罪状を思い起こさせられた事件が、昨年来の出来事だったのかも知れない。 北半球では、私が理解している限り、「渡り鳥」の生態は、彼らは初夏に、彼らの生息域の最も北で繁殖し、そこでせっせと子ども達を育てて、ほぼ成鳥となった子ども達を連れて、越冬地である南へ秋に渡って行く。 なぜ、彼らはこんな面倒くさいことをするのか、その原因を研究している人々の間では、氷が大地を覆いつくし、その氷が後退したり南下したりした氷河期に、その原因を求める説が有力のようだ。 同時期に一緒に「帰国」は出来なかったけれども、今回のお子さん達の「帰国」の様子を見ていて、不謹慎かも知れないが、私は、「渡り鳥」のことを思った。 拉致被害者のお子さん達にとって、母国は何処か? ・ご自分が生まれた国(北)か? ・はたまた両親の出身国が母国か?
なれば、曽我さんのお子さん達の母国は、米国か?日本国か?いったい何国か? 先の大戦中、旧満州で生まれた方達の母国は、満州国か、日本国か? そもそも、母国、否、国とは何ぞや・・・ そんなことを一切気にしていないのが、野鳥、取り分け「渡り鳥」のように思える。 彼らにとって、「北」とは、子ども達を産み育てるのに最も都合のよい環境、場所。「南」とは、厳しい冬の寒さを逃れて食を得るのに最も都合のよい環境、場所ということだろう。 翻って、彼らにとっては「母国」などという所は、きっとないのだろうと思う。あえて言うならば、「母国」とは、「地球」なのだろう。 野鳥にも縄張りがある。」と言う反論が聞こえる・・・ それは、人の言葉に換言すれば、「自宅」や「我が家」くらいに考えてみたら如何でしょうか?
宮崎市の野鳥情報紙から「14日に、『ホトトギス』の声を聞いた。」と知らせがあった。私は、17日に今年初めて「ホトトギス」の声を聞いた。カツオが、少々お高い。 昨日(25日)、職場で執務していたら、午後4時前に、城山の北面の大木が生い茂った薄暗い一角から、「ホーッ、ホーッ」と「アオバズク」の声が聞こえた。 まだ居れば写真を撮りたいと思い、今日の昼休みにデジカメに望遠レンズを着けてその辺りに行き、宮崎の野鳥情報紙編集主幹から伝授された「手笛」で読んでみたが、応答がなかった。 近くで営巣しているハシボソガラスから、昨日のうちに追い払われたようだ。 代わりに、「おっ、フクロウが鳴いてると思ったら、あんたジャッタッケ!」と、城山昼休み散歩グループの某氏から声をかけられた。
間発を入れず、以前職場が一緒で、「フクロウとひとくくりに言いますが、フクロウにも色々おりまして・・・」と私が薀蓄をたれた散歩同行の別の某氏が「アオバズク」と仰ってくださり、とてもうれしかった。 渡り鳥が私の住んでいる街に帰って来てくれて、その声をまた聞くことが出来た時、自分が今日も生きていることを痛感し、喜んでしまうのは、歳を取った証拠でしょうか? 何処かのお寺のご住職の説教のようで、ちょっと気恥ずかしいのですが、長い旅を経て今年もわが街に帰ってきてくれた渡り鳥達に、そして、今日も自分がその声が聞くことが出来る、生かされていることに、感謝せずにはおれません。 そして、「北」から「帰国」されたあの人たちが、「北」では聞かれなかった野鳥達の声に心を癒されるような心の安寧が、1日も早く訪れるように願います。
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