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発 行:ひょうすぼ社 |
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青草(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(36)(2004年11月10日)
0 昔、延岡の繁華街の一角に「K」という膨大なジャズ・ミュージックのレコード・コレクションを持つスナックがあった。 最後のママTちゃんは、その3代目ママだったと記憶しているが、私より若く、飾らない性格の人で、出身地の方言、「北浦弁」丸出しの会話が心地よく、度々通った。 また、かつて多くのファンが駆けつけた「フェニックス・ジャズ・イン」の野外コンサートには、オニギリやお惣菜を大量に準備して常連客を大挙引きつれ、泊り込みで駆けつけていたりした。 その「K」常連の片隅に私もいたので、Tちゃんが結婚するのを機に「K」を閉店する際には、お別れ会に参加した記憶もある。 「K」閉店の数年後、Tちゃんは、嫁ぎ先の門川町と延岡市の境にある遠見半島に建設されようとしていたゴルフ場の建設反対を訴える自然保護活動家として華々しくマスコミにデビューし、とうとう町議会議員にまでなった。それどころか、その後町議を辞して町長選にまで出馬し、その際は敗退した。 現在は、市民オンブズマン団体の県代表を勤めているようだ。
それだけなら結構なことで、「Tちゃん、頑張れ!」くらいで済んでいたのだろうが、1994年4月に私は、地域開発課企業立地係長を拝命し、そのゴルフ場建設を地元自治体としてバックアップする先鋒の担当係長になり、Tちゃんのことを思い出して、内心「ヤベェ・・・」と思った。 そして1年が過ぎ、運良くTちゃんとの遭遇はないまま、同じ課の工業振興係長に横ずりをしたある日、単車運転用のヘルメットを被ったTちゃんが前触れもなく職場を訪れて、ぎょっとした。 用件は、彼女が町議時代の活動をまとめた著書を買ってください、というものであったので勿論購入させていただいたが、その時「佐藤さん、Sゴルフ場って、自然破壊以外の何者でもないじゃろう?」と仰り、職場内の雰囲気が凍りついたのだが、彼女はその雰囲気の激変に気づくふうもなく、意気揚々と引き上げて行かれた。やっぱし、「ヤベェ・・・」 0 11月6日、職場の懇親の催しで、件(くだん)のSゴルフ場でゴルフ・コンペがあり、5年ぶりにゴルフをして、1994年4月から1995年3月までの1年間にSゴルフ場建設に関し、色々と現場を走り回った場面が思い出されて、勿論、Tちゃんのことも思い出しながら、スコアー的には全く話にならないゴルフ(にならず、「ゲルフ」位か?)をした。 その午前中の延岡市土々呂湾を見下ろすショートホールで、とんでもなく方向違いのティーショットを打ったのと同時に、同伴競技者達が大騒ぎを始めた。 原因は、私のとんでもないティーショットではなく、先にグリーン手前のバンカーに打ち入れてしまった同伴競技屋のボールを「トンビ」がくわえて飛び去ったことに起因していた。 騒ぎの原因が分かり、見上げてみれば「トンビ」ならぬ「ミサゴ」(↓)であった。 そして、その様子を撮影したビデオを見ると、丁度私がとんでもない方向へ玉を打とうとクラブを振り上げた瞬間に、前方のバンカー目掛けて急降下するミサゴがしっかり映っていた。
コース上のボールをくわえて飛び去るカラスのことは、よく聴く話だが、ミサゴがボールをかっさらう話は聞いたことがなく、ひょっとしたら、このミサゴは、10月16日に沖田川河口で、余りに何度も水中突入・漁獲失敗を繰り返すため、「下手くそ!」と罵(ののし)ったあのミサゴが、ここでゴルフボールを魚に見立てて漁獲の練習しているのではあるまいか?と思ったりした。 そんなことを考えているから、スコアーは、もう、天文学的数字になった。やっぱりゴルフは私にはむかん。Tちゃんのタタリかもしれん・・・ 落ち羽(「葉」ではありません。) 午後、コースを回っていて、(↓)の野鳥の羽を拾った。 猛禽類の尾羽の一部とも思われたので拾って帰り、先月京都で購入した「羽(原寸大写真図鑑)」で照合したが、合致するものはなかった。
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