前号37号でご報告した沖田川河口へ5日前とほぼ同じ時間帯に名犬「アン」の散歩を兼ねて行ってみました。
写真下段のように、一段とカモ類が数を増しており、今日は、393羽を数えました。
先日同様、大半(5分の3〜4くらい)は、カルガモです。
次に多いのがヒドリガモとマガモ。そして少数のオナガガモと、それにやはり少数のコガモが加わりました。
メスは、例によってまったく識別できませんので、とんでもない希少種がいた「カモ」・・・。これ、シャレのつもりです。(笑い)
「ウ」
「ウ」と言えば、昔、子どもだった頃のチャンバラ遊びで、鞍馬天狗役から切られた時の敵役の絶命の決まり文句。
いや、「マンボウNo.なんとか」と言う曲の、休符の間に入れるバンドマンの「掛け声」。アホか!話が違うやろう、「鵜」でんがナ、「鵜」。
先日(23日)と大きく異なったのは、鵜(「ウミウ」か「カワウ」かは、私には識別できません。)が78羽飛来して、カモ類と同じ中州に羽を休めていました。
河川の中流域にいれば「カワウ」、海上にいれば「ウミウ」とまったく滅茶苦茶な同定をしていますが、ここは河口の汽水湖的な水域ですから、「いる場所」によって行う無理やりの同定がここでは不能です。他に、アオサギ5、コサギ10、トビ2、イソシギ1。
「落ち鮎」
先日、職場の同僚で宮崎大学農学部大学院(水産学専攻)を卒業したY君が、ある生物学関係の学会で五ヶ瀬川の鮎の生態について発表し、特に延岡の伝統鮎漁について、「一般的(「全国的」:発行人注)には、鮎は初夏の魚だが、延岡では秋の魚であり、産卵期に禁漁期が全く設けられておらず、産卵のため河川を下る所謂「落ち鮎」を「簗漁」(や「転がし」と呼ばれる引っ掛け針で釣る魚法で:発行人挿入)などで捕獲し子持ちの鮎を好んで食する風習があるめずらしい事例。」と述べたと地元の夕刊デイリー新聞に報道されていました。
|
|
Y君とは、あるご縁で大学時代からの知り合いですが、静岡県出身の彼が、私の職場に就職してきて間もなく、彼から釣りの手ほどきを受けました。
その彼が当時、「鮎は骨のまだ柔らかい、香りの高い初夏の若鮎の時期に食するのが一番美味いですよ。」と強く主張するのに対して、延岡生活が長い私は、彼のことを「変なやつ。」と思ったことでした。
「無主物」
先週の土曜日、福岡に住む次女が「彼」を伴って帰省しました。時は秋。当地で「彼」をもてなすのには、「鮎簗」しかありません。
妻共々、4人で子持ち鮎を堪能しました。ちなみに、当地には鮎の卵・白子を塩漬けにした「鮎のウルカ」と言う珍味があり、焼酎のアテ(関西の言葉、標準語では「肴」)に最高で、「彼」は、「明太子みたい。」と仰りぺろりと平らげてくれました。「彼」は、次女にはもったいない位の好青年と見受けました。
そんな訳で、産卵期の鮎を色々な漁法で捕獲し、腹いっぱいに卵や白子を持ったものを塩焼き、みそ焼き、蒲焼、セゴシ(ぶつ切りにして酢味噌に和えて食する。)などで食するのですから、生物の繁殖・再生産の原理に反しており、資源は枯渇しますよね・・・
そこで、鮎漁を取り仕切る近辺の各河川の漁協には、稚鮎の放流が義務づけられているのですが、下流域で放流された稚鮎が河床の岩や石に着いた苔を食べて成長するために上流へ遡上する時期に、「鵜」や「鷺(サギ)」が堰などで滞留した稚鮎を狙うのです。
大昔から、彼らの命の綱だったのですから、当然です。
しかし、大金を費やして稚鮎を琵琶湖などから購入して河川に放流した漁協関係者にとってみれば、身を削られる思いであることも理解します。
そこで、漁協関係者がある時、関係当局に、我々が放流した稚鮎を食う「鵜」や「鷺」を何とかしろ!と訴えたことがあったそうですが、当局の見解は「一旦放流された鮎は、所有権が放棄された所謂『無主物(持ち主がいないもの)』であるから、いまさらそんなことを言われましても、なんともできません。」と言うものであったらしいです。
「おまけ」
沖田川河口に散歩に行く際、自宅近くの通り沿いのお宅の屋根の上にイソヒヨドリを見ました。
|