発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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青草(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(40)(2005年1月8日)

◆新春の沖田ダム◆

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 今朝、今年初めて、沖田ダム湖へ出掛けて見た。

 オシドリは、30羽前後の群れが三群いた。都合100羽ほどが沖田ダム湖に定着しているようだが、足元の岸辺に上陸しているものなどはカウントできないので、もっといたかもしれない。

 同じように沖田ダム湖に定着しているらしいカルガモ、マガモの数とは比較にならない数の多さである。これは、市街地の河川では見られない現象で、なぜこんなことになっているのか、私には分からない。

 なんら生態学的な裏づけもないまま、想像力を極限まで拡大して推察することが許されるならば、一つの推測として、私はこう考える。

「稚」的推測

 沖田ダムが建設されるまで、このダム湖に沈んだ「沖田川中流域」は、それほど深く狭隘な谷というものでもなく、かといって下流域のように開けた河川敷を持つものでもなく、程よい深さの谷間の底の細い流れの両岸に、こんもりとした自然の林や森が張り付き、その林や森をかき分けて難儀をしながらしばらく藪漕ぎをして進まなければ、川の流れの見えるところへはたどり着くことができなかった。

 勿論、現在のダム湖周辺に設けられた周回道路よりももっと以前からあった、現在のダム湖の最も奥までの距離と、更に今のダムの取り付きから同じくらいの距離がある青谷城(あおやぎ)神社まで続いていた旧林道からは、殆ど川面を見ることができなかった。

 現在、このダム湖にいるオシドリ達は、ダムが出来る以前は、この森や林に囲まれて姿を隠すのに容易であった元の沖田川の谷のそこここにいたのではないだろうか?














 その河川がダム湖に変身したとて他に行くアテもなく、止む無くそこに居ついたのではないか?
 その証拠とまでは言えないが、与条件くらいにはなりそうな生態が、二つ観察される。

 一つは、ダム湖の彼らが、大ピラにダム湖の中央に出てくることは希で、普段は、日陰になった岸辺近くや急な岸の上に上がって過ごしていることが多いこと。

 もう一つは、今日、ダム湖からの帰り、ダムから1kmほど下った昔ながらの沖田川の中流域の風情を残す場所で、(↓)写真のようにオシドリとマガモの小群を見かけたこと。

 この「稚」的推測が仮に正しいとすると、決して喜ぶべきことではないだろうが、ダム湖ができたお陰で、我々愛鳥家は、労せずしてオシドリの群を容易に観察できるようになったことになる。

 「『オシドリ』は 悲しからずや空の青、『水』の青にも染まずただようふ・・・」 溺酔(贋作)

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