発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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青草(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(45)(2005年4月7日)

◆汽 車◆

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 昭和46年(1971)4月に大阪の学校へ進学して、私は、語学のクラスの連中が皆、阪神タイガースの一面記事が踊るスポーツ新聞を読んでいるのに面食らってしまったが、それより何より、彼らに、私が入学する際にやってきた時の様子を話すために、「夜行の汽車で大阪まで来て・・・」と言ったら、皆が青ざめて(大げさな!)「えっ、君んとこ、まだSLが走ってるんかいナ?」と、ピテカントロプス・アフリカヌスか、ニポナントロプス・アカシエンシスの化石を見るような目で凝視されたのにはまいった。

列車の「振動」、地震の「揺れ」

 SLが走っているどころか、日豊線が全線電化されたのはそれから数年後である。
 その日豊線の線路が、我が家の庭の東側に沿うように走っている。最も東側の部屋で寝起きしている私の枕元から線路敷きまでは、今回、庭に設(しつら)えつつある寄せ練習用の芝生の使用可能距離(およそ15ヤード)と殆ど大差が無い。

 貨物列車による輸送が衰退し、夜間に走る列車が1本(ドリームにちりん)になったため、枕元を轟音を響かせて走ったところで、私はピクリともしない。なのに震度1程度の地震でもハッと目が覚める。震度は小さくても、地表をかすっていくような列車が生む「振動」と、地底から揺らす地震の「揺れ」とは、根本的に違うのだと実感する。

線路敷き

 鉄道の線路敷きには、色々な趣があって、私は列車に乗った際、先頭車両や最後尾の車両から、線路敷きとその間近な近景を楽しむのが好きだ。

 例えば、東京の中央線・総武線水道橋辺りのお堀の残影と思(おぼ)しき景色などは、都会の只中とは思えない風情を感じる。 夕方に東京駅を出発する寝台特急「富士」最後尾のラウンジカーから眺める、新橋、品川、横浜の夕暮れの東海道線沿線の景色は、絶品である。

 一方、よく利用する名古屋から白馬までの中央西線〜篠ノ井線〜大糸線の線路敷き近辺の景色も、これまた捨てがたい。


















渡りの通路?

 自宅東の日豊線の線路敷きはと言えば、野鳥観察にもってこいである。なぜなら、長年の観察から、どうも渡り鳥たちの一部は、「雑木・雑草」の生い茂った線路の両脇の藪然とした草木の連なりを隠れ蓑として上手く活用し、そこを格好の渡りの通路として使っているように思えるからだ。

 昼間、天敵に襲われそうな時間帯は、その、そこここの茂みに身を隠し、夕暮れ時や夜間、また早朝に、その(線路を人間が作った、という意味で)人工的な茂みの連続帯を上手く利用して、春は北へ、秋は南へ移動しているように思えてならない。

 今日の夕方も、全然知らない、微妙かつたおやかな節回しの囀りが線路敷きから盛んに聞こえた。縁側で夕刊紙を読みつつ、思わず「旅をしながら、ナンパですか?こりゃまた、優雅ですな・・・!」と呟いてしまった。

 

芝生の庭(連載)

 今回は、お休みです。

モグラさんがボコボコにしてくれます。しかし、これも当初から織り込み済みの自然現象です。彼(等?)の芝への暴虐を甘受します。と書いていたら、長男が「ネズミ、ネズミ」と騒ぎだした。我が家の末っ子ネコ、モモが捕まえて家の中へ持ち込んだらしい。

 しかし、このネズミはいたって元気で、長男を手こずらせた挙句に逮捕され、これから釈放されるところである。(↓写真参照)

 基本的には、彼らも「線路敷き」の住人だろう。 「命が惜しかったら、我が家の庭へ上がってきてはダメだよ!」と説諭しておいた。

 

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