身勝手「野鳥歳時記」 |
発 行:ひょうすぼ社 |
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青艸(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(54)(2005年8月21日)
0 新装なって話題の多い「宮崎県立西都原考古博物館」を見た。 同様の施設を訪れて、何時も疑問に感じることだけれども、どうしてこの手の施設の外観は、まるでトーチカのように、まるで防空壕のように、まるで核シェルターのように内向きなデザインなんだろう? 外界から守るべき、よほど大切なものが収蔵されているのだろうか、それとも、収蔵品を盗もうとしても、たやすくは運び出せませんよと盗賊団に二の足を踏ませるための設(しつら)えなのだろうか? 展示内容は、以前の旧館と比べれば、格段にドラマティックな趣を増し、古代への夢を膨らませてくれる構成となっていて感嘆する。
とは思うが、総じて館内の照明が暗すぎる。それとも、縄文や弥生、それ以前の人間社会は、このように闇に包まれたような、暗い世界だったのだろうか。 電気エネルギーによる照明など、現代の闇を照らす科学的技術が存在しなかった分、日光は大昔の人々には、現代人には感じることができない無限の輝きを感じさせていたに違いないと愚考するのだが。 そのような中、大いに評価したいのは、入場無料という英断である。ウィークデイの大英博物館だっただろうか、そこも入場無料と聞いたが、無料ゆえの馴染みやすさと、次回はヘッドランプと懐中電灯を持参してもっと良く見ようと思う感想を与えることから、リピーターを確実にキャッチすると思う。「入場料を徴収しても、どうせコストとペイしないのなら、沢山の人々に来てもらった方がいい。」という思考は、これまでのわが国の文化施設にはなかった発想で、評価する。 義父の初盆墓参のため、妻の実家へ帰省した折に、上記刀剣博物館を見た。 亡き父は、妻やその弟のために、備前の刀を形見として残しておいてくれたそうだ。義母によれば、諸々の整理がついたら渡すから、とのことであったが、妻は「そんな恐ろしいもの、いらんワ・・・」 私は、今や滅亡の危機にある社民党の前身、日本社会党の支持者である。今や存在しない党の支持者とは情けないが、そうなのだから仕方がない。 では、どの部分の支持者であるかというと、「非武装中立」という命題の一点で、である。 人は、武器を持てば使ってみたくなる。効果を試してみたくなる。 昔、お武家の社会にあった「試し切り」が良い例である。 何も武器を持たずに素手のままで窮地に追い込まれれば、人はその知恵のありとあらゆる可能性を駆使して、かつてのユダヤの民がそうであったように、民族の存続に全身全霊の努力を注ぐ、と思う。
「ならば、我が国土を犯した敵に対して、貴君は素手でどのような対抗手段をとるや?」とたくさんの友人から詰問されそうである。 私ならこうだ。 闇夜に乗じてほふく前進で敵の野営地に侵入し、密かに敵兵の脇に忍び込む。そして、そっと彼を抱きしめる。びっくりして起きた彼の眼をじっと見つめ、どうせ通じないだろうけれども日本語で、「我は汝ら全ての人を愛し、争うことを忌み嫌う。汝も我を愛せよ!」と彼の耳元でつぶやいて見ようと思う。 それで、彼からあの手の人と誤解されて撃ち殺されれば、それまでのことではないか。今日通りかかったある禅寺の門前に「死ぬとは、その時まで生きたということ。」と書かれてあった。けだし、名言! 既に絶命しているにもかかわらず、我が亡骸に幾たびとなく備前長船を振り下ろす夢を見そうなので、義父の形見であっても、妻には刀を持って欲しくないのだが、「そんな恐ろしいもの、いらんワ・・」と言った彼女の一言は、21世紀になって5年、彼女と結婚して30年、もっとも私の心を安らかにした言葉であった。 そうでしょう、人は「非武装中立」に限ります。 0 ずっと以前に、「個人紙乱杭」に、高校の修学旅行の折に、東京竹橋の「科学技術館」に連れて行かれた時、そこを抜け出して一人で隣の「国立近代美術館」へ行き、駆け足で作品を見て感動した思い出を書いた。 私は、その衝撃的な感動を35年近く経っても引きずっていて、上京して暇があると同美術館へ足を運ぶ。今夏は、宮崎県立美術館で開かれている同美術館巡回展を見た。 同館を代表する作品が幾つも欠落していて、がっかりした。 どれもこれも、宮崎にもってくるわけにはいかないか?
何時もの習慣で、「展覧会展示作品におけるバード・ウォッチング」をした。 古賀春江の「海」に海鳥(カモメ?)が2羽描かれていたが種不明。 土田麦僊の「湯女」左端に、キジの番(つがい)、山元春挙の「塩原の奥」に種不明の猛禽とツバメが描かれていた。 ところで、大学生の頃に訪れて同館で見た「戦争画」展に展示されていた作品群はどうなっているのだろう? 藤田嗣治などが、軍部に依頼(強制?)されて描いた戦争美化の作品群だが、倉庫に眠らせておかず、時期をみてあからさまにすべきだ!と思う。
0 日岡謙三さんは、ロング・ロング・アゴー、ワンス・アッポンナ・タイム、分と才能を省みず私が油絵を描いて県展や宮日美術展に応募していた頃、荒縄を縦結びにしたような独特の作品を描いていらした。 ある時は、長靴を履いて展覧会場に現れ、「この作品はいい、こりゃ好きじゃ・・・」とか仰っていた。 病の床で、ご家族にこのように展示して欲しい、と遺言された作品の展示を心を澄まして拝見した。作品を紡ぐ、とはこんなことを言うのだろうか思った。
私は、さっさと油絵の世界、創造の世界から撤退したことを良かった、と再確認した。音として何も語らない日岡さんの作品が、そこはかとなく見る人に何かを語りかけてくる。 見る人によって語りかけてくる内容は、異なるだろう。それが創造というものなのだろうか? 震かんとした会場に置かれた作品を前にして、その様々な「青」に深く深く、心を打たれた。
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