青艸(佐藤理洋)の
身勝手「野鳥歳時記」

発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
住所:
北緯32度32分29秒 東経131度40分39秒
e-mail:
riyoyoko@hotmail.com
創刊:2000年11月創刊

ご意見・感想等は発行人までお願いします。(^_^)  

青艸(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(58)(2005年10月10日)

◆芝生の庭(16)◆

 今年の2月に始めた芝生の庭造りも、8ヶ月目に入りました。

 くどいようで恐縮ですが、芝生の庭造りは、ゴルフの一要素、アプローチの練習を自宅でするために始めました。
 ところが、本末転倒・・・、目的と行動が覆って、ゴルフの練習はそっちのけで、芝生作りが主になって、毎朝、毎朝、草を引きその後コーヒーを飲みながら、緑の芝生を眺めて恍惚となる日が多かったように思います。

 今年の4月に、新たなポジションに異動になり、分からないことばかりで、憂鬱な日々を過ごしましたが、朝、目覚めて眺める庭の芝生の緑にどれだけ癒されたか知れません。これは、思いもよらなかった副産物でした。

オーバーシード

 その芝生(フェニックス・ターフ)も、間もなく冬篭りの時期を迎えます。

(写真↓)

 そこで、大胆にも、オーバーシードを試してみようと思っています。
 オーバーシードとは、夏に育てた芝が寒期を迎えて緑の葉を枯らすのを期にそれをどんどん刈り込んで後退させ、寒冷地に生育する芝の種をまいて発芽させ、それを生育させて冬でも芝生の緑を楽しもうとするものです。

 その前に、夏芝を刈り込んで、やっておかなければならないことがあると思っていました。今でも、芝生の庭の上を色々な虫達が飛び回り、芝生の上に降りて葉の中に潜り込んで行くのを毎晩目撃していたからです。

 そこで、今日芝生を刈った後、ピンセットをもって芝生に這いつくばって虫取りをしました。その成果が、写真(↓)です。

 どれがなんという蛾やその他の虫の子どもなのか、私にはまったく分かりませんが、この時期によもやと思えるほど結構たくさんの芝生にとっては害虫であろう青虫を捕獲しました。
 自然の摂理には反しているのでしょうが、ゴルフ場の芝生とはかけ離れた我が家の芝生の庭をもう少しそれらしいものにするためには、止むを得ません。

 あわせて始めた野菜作りでは、(↑)写真のように、たった一本だけですが、待望の「キュウリ」が実りました。これから、レタスなどとあえてサラダにしていただこうと思います。

 ところで、今年のサシバの渡りは、極端です

 都城市の金御岳で毎年サシバの渡りを観察されている中原さんによれば、7日は5000羽、昨日は3000羽、他の日はパラパラ・・・。

 今年の初夏、都城であった「九州治水期成同盟連合会」の総会で、国土交通省九州地方整備局の宮田局長が「最近の雨の降り方は、なんだか変だ。年間降水量は減っているのに、降らない時は渇水状態。降り出したら局地的豪雨。どうにも扱いにくい雨が降る。」と仰っていた。

 サシバの渡りもそんな傾向が今年は出てきていて、渡らない日は、ほんのパラパラ、渡る日はドバッと。
 晴天の昨日は、9時から2時半まで北浦町横島展望台にいて、たった51羽。去年のこの日は、1200羽を超えたと言うのに・・・風になりたい(全国学校音楽コンクールによせて)

 今朝は7時に、何時も行っているゴルフ練習場へ行って、200球余りの打ち込みをした。結論として言えば、私は、やはり下手くそだ。なぜ休日の朝、そんなに早く練習場へ行ったかと言うと、NHK教育で放送される学校音楽コンクールを見たかったからだ。








































 午前中は「中学校」、午後3時からは「高校」の部を見(聴い)た。一言でいえば、人の声のアンサンブルという観点で、凄いと思った。

 午前中の「中学校の部」は、中学生という、それなりの若さが感じられて楽しかった。指導をされた先生方のご苦労や如何に・・・。

 今年の学校音楽コンクールは、第72回を迎えるそうな。私は、今月22日に53歳になる。つまり、私が生まれる20年前からこのコンクールは開催されていたことになるが、何時も思う。

 各校が歌う自由曲は、もっと自由であっていいのではないかと・。

 今年の課題曲は、「風になりたい」だった。各校のその課題曲を聴いていて、愛知岡崎高校がその曲を歌い始めたその瞬間に、私は「上手い!」と叫んでいた。

 何故だか分からない、他の学校も厳しい各ブロックの予選を勝ち抜いてきただけあって、それはそれは見事な合唱だったけれども、岡崎の「風になりたい」のハーモニーは、正に私の琴線に触れたのだ。

 ひょっとしたら、今年の金賞は岡崎かも??、と思った。

あい? 愛燦燦・・?

 岡崎の自由曲は、谷川俊太郎の「あい」だった。

 ところで、「乱杭」や「歳時記」の読者の皆さんは、この音楽コンクールを聴かれたことがありますか?

 ある、と答えた方だけにお聞きしますが、自由曲の選曲は、なんとかならいものか、どうも変だ、とは思われませんか?
 つたない私の音楽観から言わせれば、どこの学校もここの学校も、「太宰治」や、「田宮寅彦」の小説を読んでいるように暗くて悲しく、歌う喜びが伝わってこない選曲ばかりだとは思われませんか?。

 ひとつだけ進歩したと思えるのは、かって、このコンクールで歌われた曲は、殆どその歌詞が聴き取れなかったことを考えれば、昨今 は、極めて明瞭に歌詞が聴き取れるようになったことだろうと思います。

 さて、私の「かん」は、ある程度当たっていたと言えます。愛知岡崎高校は、埼玉栄に続いて、第2位「銀賞」に輝いた。
 そこで私は思うのですが、自由曲を「あい」ではなくて、宮沢和史作詞・作曲の、課題曲と同名の曲「風になりたい」を歌っていたら、金賞ではなかったか、と・・・。

 どうしても「あい」が歌いたかったのならば、小椋佳の「『愛』 燦燦」なんかを歌っていたら・・・。
 と思われるほど、全ての学校の自由曲の選曲は、つまらない。

 私がかつて凝っていた「抽象的表現の絵」のように、まったく素人にはそのよさが分からない、理解できない「難解」な「現代音楽風」の曲ばかりを歌っている。 

 歌とは、合唱とは、そのようなものだろうか?
 「唇に歌を」という素晴らしい有名な合唱指揮者の遺言のような言葉があるけれども、一握りの人にしか理解されない、愛されない歌ではなくて、自由曲なのだから、誰か、何処かの学校の指導者が、一度冒険をすれば、一気にこのコンクールは、我々素人でも楽しめる、今の女子プロゴルフのツアーのようにギャラリーが大勢押しかける素晴らしいものになる可能性を秘めていると思う。

 参加各校の歌唱力は、それほど素晴らしい実力を持っていました。
 TV画面に映った、参加校とその関係者だけが聴くこのコンクールの会場の様子は、やはり異常な景色と言わざるを得ません。
 その証拠に、参加各校から代表6人ずつが参加して、審査の間に歌った平井堅の「瞳をとじて」のアンサンブルのなんと伸びやかで素晴らしい響きの歌声であったことか・・・。

 誰か、このコンクールの常連校の指導者が英断をふるって、自由曲の常識を打ち破る選曲をしていただけないもだろうか。

 例えば、長年、女子校として「女声合唱」にその最高の到達点を獲得した旧宮崎女子(今の宮崎学園)あたりに、混声になったこの機会に、その冒険を望みたいと思います。

 そう言えば、来年の中学校の課題曲の作曲者は、あの森山良子さんのボン、森山直太郎さんに決まったそうだ。ここら辺りから、このコンクールの根底が覆って、我々素人にも分かりやすく、ひいては、各校の合唱部員の皆さんも歌って楽しく、感動的なものに変貌していくように願っています。

 

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