身勝手「野鳥歳時記」 |
発 行:ひょうすぼ社 |
|
青艸(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(63)(2005年11月27日)
8月の初旬、その日、屋外の仕事があって汗をかいて帰宅したので、玄関へ入るやいなや風呂場へ飛び込んでシャワーを浴びていたら、お隣のAさんが見えて玄関のドア越しに「佐藤さん、回覧板です。」と仰る。 風呂から上がると、愛犬アンが庭で、部屋に入れろとヒー、ヒー鳴いており、その脇を通りながらAさん宅のお勝手口へ近づいて行ったら、Aさんが中から「ヨシヨシ、もうすぐお父さんやらお母さんが帰って来(き)なるからネ、それまでは、私たちがついているから大丈夫ヨ。」と壁越しに愛犬アンに語りかけていただいていた。
それで、私が「Aさん、佐藤です。」と塀越しに呼びかけたら、「あら、今帰って来(き)なったト?(宮崎県地方の方言によくある肯定的疑問文)、お疲れ様・・・。」私は、「あのう・・・、回覧板は・・・?」と言いかけながら呆然自失、それ以上Aさんへ呼びかけるのを止めた。結局、その日のうちに回覧板は我が家へは回付されなかった・・・ だから、野鳥への餌付けは、餌の少ない時期を除けば、春先など、ある一定の時期にすっぱりと止めるべし、という定説を無視してAさんが周年スズメに餌を与えておられることに対して、私は口を差し挟む勇気が沸かないのだ。 写真(←)の電線に止まったおよそ150羽のスズメは、すべからくAさんの飼い鳥である、と言わざるを得ない。 0 アニュアルライグラス「フェアウェイ」の種を撒いてから、ほぼ1ヶ月が経過した。歳時記(19)で報告したように、どうも「庭一面の冬芝の緑」という状況は、望むべくもない庭の状態になった。写真(↓) 今日は、その芝生の庭の草抜きをして、全体の半分を済ませた後、自室からうっとりとその庭の様子を眺めてくつろいでいたら、午後4時前、前記スズメの集団の鳴き声が一瞬止まって、我が庭のフェンスに何かが引っかかってバタバタ始めた。 よく見れば、スズメを追って来て失敗したのだろうか、金網の空間へ小型の鷹が足を突っ込んで、それが抜けずにバタバタ大騒ぎしていた。
その鷹は、何とか足を抜いて、JRの線路敷きを超えた、何時も、スズメの群れが過ごしている藪の桜の木の枝に止まって、下の竹やぶを睨みつけていた。写真(↓) それから30分位経過した頃、またそのツミが向かいの桜の木に飛来して、しばらく竹やぶを見下ろしていたが、スズメはチュンとも鳴かず声を潜めて竹やぶの奥深く非難しているようだった。写真(↑) 0 先日(11月26日)、40年ぶりの同窓会をした。 別添写真上から5枚目(なし)は、その後、みなさんと行った延岡総合文化センターで開催中の「延岡書道協会創立50周年記念展」の後、文化センターの庭に建立されている郷土の歌人、若山牧水の立像の前で撮った記念写真。 その時の私は、きっとお邪魔虫だったに違いないと思うのだけれども、そのグループ旅行にヒッついて行った。
小学校5年だか6年だかの少年にとっては、まったくもって刺激的な旅行で、東京の大学ではなく、あえて関西の大学へ進学したきっかけは、意外とこの旅行の強い印象が残っていたからではないかと思ったりする。 そして、色々な神社仏閣へ連れて行ってもらったはずなのに、憶えていることといえば、大阪南波のジャズ喫茶「ナンバ1番」と京都三条のクラブ「ベラミ」・・・。そして木屋町の旅館「弁慶楼」の川床料理。 延岡水郷ヤナで鮎をいただきながら行った同窓会の最後の頃、「みなさん、また行きますか?」と挑発したら「行こう、行こう。」ということになり、再来年5月頃に、40年前の京都旅行のプレイバックを敢行することになった。あの時は、本とうにお邪魔虫だったに違いないから、今度は、私が添乗員よろしく、皆さんのお世話をとことんさせていただこうと思う。
「すみません。今、シャワーを浴びていますので、後で取りに伺います。」と風呂場から叫んだら、Aさんは、「ハーイ。」と仰って帰っていかれた。
何の同窓会かと言えば、昭和38年(若しくは39年かもしれない。)の7月、当時母が勤めていた延岡市立東海小学校で、母と一緒に勤めておられた先生方と大阪・京都旅行をした。その時のメンバー全員が集まって延岡水郷やなで同窓会をしたのだ。
|
|
|