身勝手「野鳥歳時記」 |
発 行:ひょうすぼ社 |
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青艸(佐藤理洋)の身勝手 野鳥歳時記(73)(2006年7月23日) |
私のパソコン生活は2000年に始まり、2ヶ月ほどして、このEメール版「野鳥歳時記」を発行しだしました。 当時のOSはウィンドウズ98で、その1代目のパソコンを大事に使ってきました。通
信は、最初はダイアルアップ、次にケーブルテレビ。 今や世の中は「光通信」の時代だそうで、高速・大容量、所謂ブロードバンドの売り込みの電話が最近よくかかって来ていました。 奥さんは,既に2代目のノートパソコンに買い換えていて、川嶋あいのホームページの動画などを楽しんでおり、少々環境が窮屈になってきていたわけです。 そこで、種々調査の上、電力会社の光通信を導入することにしました。 ついでに、電話もN社の留守番だキャッチフォンだという使いもしない機能の代金だけで、月々の通
話料を超える契約をぶち切って、付加機能が一切ない通話だけの契約の光電話に替えました。(電話番号はそのままです。)
そんでもって,パソコン通信はモデムからルーターを介して、モデムのそばにある私のパソコンはケーブルでつなぎ、別
室の奥さんと長男のノートパソコンは、それぞれ無線ランでつなぎました。のみならず、通
信環境の飛躍的な向上に合わせるため(うまい理由があったものだ。)自分のパソコンも買い換えてしまった。 のはよいのだけれど、何もかも一度に変更しようとしたために、あれこれの設定がひっちゃかめっちゃかになってしまって、光の工事をした7月6日から完全に全員のパソコンが支障なく動き出すまでに2週間強の時間を要しました。 昨日、ケーブルテレビ会社の人が来てモデムを引き上げて行ったけれど、なんとか間に合ったといったタイミングでした。 と言う訳で、メールアドレスが変更になりました。新しいアドレスは、 ・・・・・・・・・・・・・ ですので、アドレス帳に登録をしていただいている方は書き換えてください。 また,正常に送信することができたかどうか、更にあなたのメールアドレスが私のように変更になっていないかどうかを確認させていただくために、このメールの返信をいただければ幸いです。
先週末、80歳と79歳の両親に穂高岳など北アルプスの絶景を見せようと上高地へ行ってきました。 2泊したのですが、都合3日間とも曇り若しくは小雨模様のお天気で、「絶景」の眺望は不能。よく河童橋から奥穂高岳を見上げた写
真にある、その裾の岳沢の「雪渓」が垣間見られた程度で、「ぜっ」と「せっ」の差は,歴然としておりました。 仕方なく,2日目は河童橋から3.5km上流にある「明神池」へのトレッキングに両親を連れ出したのですが、普通
、片道1時間程度のコースに、往復6時間を要し、復路の途中では足の進まない母を背負う覚悟をしたのですが、拒否され、何とか全員完歩しました。現在母は「あれから、足の調子は至ってよい。やっぱ,歩るかにゃいかんね!」とのたもうています。 私は、泥のように眠りこける老人2人を部屋に残して、2日目の早朝は、ホテルから梓川上流の河童橋まで、3日目は下流の大正池まで、うっそうとした自然林内に設けられた観察路を散歩しました。 振るような野鳥の声。普段聞くことのない囀りに双眼鏡を向けると、宮崎の平地では冬場しか姿を見ない鳥などが多くほとんど、鳴き声だけでは種別
を聞き分けることができない囀りがほとんどでした。 その中で、何十年かぶりにカッコウの鳴き声を聞けたのは収穫でした。 先ほど書いた明神池からの帰路、薄暗い林の中を通っていた時には、10mほど先の高さ1m位
の所でポッキリ折れた枯れ木の先端でコマドリが鳴いてくれて「ホラ、あそこにいる。」と居場所を両親に教えるのに夢中で、写
真を撮ることをすっかり忘れていました。 お土産代わりに何枚かの写真を添付します。 1枚目は、朝の散歩の際に写した朝もやの中の河童橋。(↓)
2枚目は、6時間のトレッキングの出発時、河童橋のたもとで、まだ元気な両親の記念写
真。(↑) 3枚目は、ようやく明神池にたどり着き、くたびれ果てて表情が険しくなった両親の記念写
真。(←) 4枚目は、帰路立ち寄った名古屋市にある「トヨタ博物館」に展示されていた、母の父(つまり祖父)が戦前ハイヤーの運転手として活躍していた頃の「フォードモデル40」とトヨタのレーシングカー「トヨタ7」。 亡き祖母が自慢げに「お父さん(祖父)は、フォードのセダンを運転していた。」と語っていた姿が思い出されました。
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