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発 行:ひょうすぼ社 |
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00000000No.113 乱杭(2001年4月30日) 0
あんたがよ、嘉子姉さんのお腹ん中におっ時、常安さんな結核に罹患(かか)りゃって、赤江ん国立療養所に入りゃることになったっちゃわ。あん頃結核て言えば不治の病でよ、入院しやっ時きゃ、常安さんの布団やらなんやら、みんな爺ちゃんが燃やしゃったつよ。常安さんが元気になって帰ってくる保証もないもんじゃから、私たちゃ(父の妹達)、嘉子姉さんに『赤ちゃんを堕しない。』って言うたっちゃが。じゃけんどん、絶対嘉子姉さんな、首を縦に振りゃりゃんかったど。」 以来、私は、結核の特効薬である抗生物質「ストレプトマイシン」を’43年に土壌中の放線菌から発見したワクスマン博士に感謝し、かつ母のイエスマンになった。
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この写真は、今月8日に結婚50周年、つまり金婚式を迎え、その前日4月7日の夜に宮崎市青島の太陽閣で家族が開いた金婚を祝う会の席上あいさつをする両親である。父常安(大正15年生、75歳)、母嘉子(昭和2年生、74歳)。彼らが結婚したのは、昭和26年4月8日。翌年10月には、私が生まれている。ずっと以前、たぶん自分が高校生の頃、母の古いアルバムの中に、宮崎大学学芸(今の教育文化)学部自治会と大書された看板の下で、他の学友と一緒に両親が記念撮影に収まっているセピア色に変色しかかった写真を見たことがある。ああ、自分の両親はこうして知り合ったんだなあ、とその時漠然と思った。
それから、随分時が経って、宮崎市木花の父の実家であった誰かの法事か、または父の兄弟姉妹の家族が大挙して集まって開かれていた正月の「兄弟会」の後のお茶の会かで、父の妹が私に「理(みち)さん、
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金婚式のお祝いをした日の前週の日曜に、弟潤一郎が宮崎からやって来て「お祝いに贈る記念ビデオの撮影に付き合ってくれ。」という。彼が幼少で知らない、両親の延岡時代の思い出の場所を案内してほしい、と言うのだ。 |
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