発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyo@ma.wainet.ne.jp
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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 乱杭 119号(2001年6月10日)
◆アナウンサー◆

 一時期、「局アナ」と呼ばれる女性の職業が、脚光を浴びた。我々の少年期や、青年期には、女性の憧れの職種と言えば「スチュワーデス」が通り相場であった。
 しかし、時代の移り変わりとともに、女性自身や、社会の女性職業感が変わってきたようだ。
 そう言えば、昨年訪れたロサンゼルスで、当地の添乗員が「皆さんが乗られた旅客機の女性乗務員の年齢が高いことに、気づかれましたか? アメリカでは、スチュワーデスの社会的な評価は、日本ほど高くないのです。だってそうでしょう。飛行機の中でウエイトレスをやっているのですから・・・。」
 では、ウエイトレスは卑しい職業なのか? と私は思った。彼(日本人と思われる。)が案内してくれた間、このような思い切った恣意的な発言が延々と続き、げんなりした。

 さて、「局アナ」である。この言葉が社会に踊り出てきたのは、父親が某キー局の有名プロデューサーで、本人は頭が良いのか悪いのか、とんと検討がつかない、ホンワカとした好ましい雰囲気を持っていて、それでもって、本業のアナウンス業より、バラエティー番組や堺正章と競演した料理番組などで活躍した彼女が出てきた頃ではないだろうか。
 受信料に依存していて、唯一国会で決算報告を義務付けられている変な放送局に所属して、輝くような美貌、かつ本格的にピアノが弾けて外国語も巧みで、とうとう民放などマスコミグループを率いるグループの御曹司と結婚したあの彼女の頃には「局アナ」という呼称は、なかったように思う。しかし、彼女がはしりかな?

 「局アナ」はどうなったか? たくさんの国会議員を生み出し、芸能界と婚姻関係を結び、○○評論家を輩出した。もっといろいろあるかもしれない?

 まあ、これくらいでいいや。

これに引き換え、日本体育協会傘下の数ある各競技団体に所属する「競技会進行係り(つまりアナウンサー)」の人々は地道である。




















 何を隠そう、私もその一員として、「局アナ族」が登場する以前から「アナウンサー」をやって来た。
 だが、それも最近少し苦しくなってきたかな、と思う。例えば、私は陸上競技のアナウンサーをしているが、この競技のアナウンスは、おおむね3種類ある。 
 1.は、これから始まる競技に参加する選手(例えば、記録保持者などの有望選手が出場することなども含めて)を紹介すること。
 2.は、終了した競技の結果、成績を発表すること。
 3.は、現在行われている競技の(新記録達成の見通しなどの)見所や、途中経過を紹介すること、である。
 いずれのケースも、出場選手の名前や、競技結果の記録が帰されたペーパーが頼りとなるのだが、特に、3のケースでは、手元のペーパーとかなり離れたトラックやフィールドの現場を見比べながら、喋ることになる。
 これは、もういけません。私は、現在、遠くを見るためと、デスクの上の書類を見るための2種類の眼鏡を使用しているが、具合が悪いったら、ありゃしない。
 前者は、手元のペーパーが読みづらく、後者では、遠くの選手のナンバーカード(昔はゼッケンと言った。)や、ゴール地点に設置されている電光速報盤の文字がはっきり見えない。
 かつてこの乱杭で、自分の体のことをすべて理解していただいていた主治医が亡くなった折りや、また、ずっと著作を読んできた開高健が亡くなった折りにも、「このようにして人は歳を取っていくのか。」と、漠然と感慨を述べた記憶があるが、今日の状況は、そのような悠長な話ではない。
 結果、今度のボーナスが支給されたら、「遠近両用眼鏡」をしつらえる事を決心せざるを得ないと決断した次第です。
 添付の写真は、毎年5月の最終土曜日に延岡市で開催されている「ゴールデンゲームスinのべおか」の今年の模様と、アナウンス席の私です。いずれも夕刊デイリー新聞社の佐藤隆一編集部次長にご提供いただきました。

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