発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyo@ma.wainet.ne.jp
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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 乱杭 122号(2001年8月4日)
◆Darcey Kane 来延◆

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 昨年の夏、マサチューセッツ州メドフォード市で再会した、私にとっては唯一のアメリカ市民の友人 Michael(通称Mike) Kane の長女 Darcey(高2)が、先月1人で延岡市へやって来た。
 そのような計画があることは、Mikeからのメールで昨年聞いていたが、その後具体的な話は聞いていなくて、そう言えばもうそろそろ来る頃かな、と思い問い合わせのメールを入れたら、既に延岡市へ到着し、'70〜'71、彼がロータリークラブの交換留学生として滞在した折にホームステイした井上日出夫さんの息子さん井上博さん宅や、当時延岡高校の英語教師だった吉本先生のお宅を順に訪ねているとのことだった。


 「知らせるのが遅れてゴメン、ゴメン。詳しい日程は、吉本先生に聞いてくれ。」と例によってツレナイお言葉。
 吉本先生のお宅に電話をしたところ、「お前のためのお土産もMikeからことずかって来ているようだから、日程を調整してお会いなさい。お前の所に泊めてもいいとぞ。」ゲナ。冗談でしょう。我が家は、つい先日、21世紀になってようやくトイレが水洗になった家ですぞ。
 そんな思いやりたっぷりのお申し出は、きっぱりご辞退申し上げて、後刻、昨年(お嬢ちゃんが第九を歌う会のメンバーで)メドフォードへもご一緒した先生の奥様から詳しい予定を伺い、井上博さんのお宅で、Darcey にお会いした。

 お土産に、ニューヨーク・ヤンキースの帽子、それに彼の仕事(スポーツ記者)のホームグラウンド、サラトガスプリングス(大競馬場がある。)のロゴの入ったポロシャツをいただいた。
 ちなみに、答礼で、Dorcey にはデイバッグ、Mikeには、1970.10.3 に西階陸上競技場であった延岡高校の陸上競技大会の際、フィールドで二人で写った引き伸ばしの白黒写真を若林カメラ店でコンピュータ処理して複製を作って貰い贈った。何と31年前の写真ですぞ。
 当時の我々と同じ歳頃の娘さんが、ホイっと1人でやってくるのだから、歳をとるはずだ。

 ここで、少し井上日出夫、博さんについて補足説明すると、当時井上日出夫さんは、私の通学途上の構口町で産婦人科を開業しておられて、Mikeが日出夫さんのお宅にホームステイした際、私は、起床が遅く何時も学校に遅刻しそうな彼の通学パートナーをした。
 それがご縁で、我が家の3人の子ども達は、全員井上産婦人科で誕生した。
 日出夫さんは、現在はリタイヤされたが、ご長男博さんが近くの平原町に新しい産科医院を開業され、孫亜海が3年前にそこで生まれた。
 子・孫全員井上先生父子の手でこの世に生を受けることになるとは、当時思いもしなかった。

 Mikeの奥さん Kathy には、彼らが新婚時代の1982年に延岡市へやって来た際に会った。次女 Caitlin には昨年の夏彼がメドフォードまで連れて来てくれて会うことが出来た。今回、Darcey に会い、彼の家族全員と会うことができた訳だ。
 彼ら夫婦は、既に1982年に日出夫先生のご自宅で、我が家の全員と会っている。

 DarceyによればMikeは、「Riyoと毎朝、自転車で学校に通学した。」と話しているそうで、おまけに、昨年ボストン美術館で写った Caitlin との2ショット写真を額に入れて送ったものが妹の部屋に飾ってあるそうで、私の顔は見知ったものででもあったのだろう。彼女からすれば、私はまったくの未知の人とも思えなかったのではないか。のっけから、とても打ち解けた雰囲気で接することができた。が! コミュニケーションが・・・。

 少し以前までなら、巧みに英語を駆使してコミュニケーションを図ることができる人を羨ましく、かつ眩くみたものだが、今は、もういけません。
 私は、既に枯れてきたとしか思えない。ただボーッと見てるだけ。

























 やおら Darcey は小型モバイルみたいなものを取り出し、キーボードになにやら打ち込み、液晶画面をこっちに見せる。要は電卓みたいな格好をした翻訳機であった。

 そうそう、そんな私がなぜ Mike とメール交換ができるかというと、その秘密は、次のURL にアクセスしていただくと分かる。http://www.excite.co.jp/world/
 ここでは、無料の翻訳ソフトが提供してあって、日本語の文書を記入し、ボタンをクリックすれば、たちどころに英訳をしてくれるし、逆もOKなのだ。英語が大の苦手の私にでも、この英語は少し変・・・、と思える文章になっていることがあるが、それは、こちらが作った日本語の原文の問題か?

 そのようにしてメールを書いて、 Darcey の様子をデジカメに収めて貼り付けて送った。

 お別れの日が近づいて Mike から

I am happy that you were able to meet Darcey. Now you have met all the members of my family. Darcey had a very good time during her visit to nobeoka and is sad to leave. I'm sure she will be crying at the train station.

 とメールが届いた。

 実は、Mike 自身とても涙もろい人で、'71年夏、アメリカへの帰路、大学に進学し大阪に住んでいた私を訪ねてくれた彼と、伊丹の空港で別れた時の様子を思い出した。

 7月26日朝、列車で宮崎空港へ向かう彼女を延岡駅に見送りに行った。
 吉本先生の車で駅に着いた彼女の目は、もう真っ赤だった。
 井上日出夫先生ご夫妻と抱き合っては、泣き、Mikeが来日すると同時に日本へ帰国されたかつてのロータリー交換留学生の佐藤信博さんと抱き合っては、泣き。そばで見ておられた吉本先生が「泣き虫は、Kane家の血統だな。」とポツリと仰った。誠に・・・。

 私も根性なしで、これでも妙に内気なところがあるため、抱きつかれたらかなわん、と思いできるだけ彼女に近づかないようにしていたら、列車の発車間際、デッキからひょいと降りてきて「羽交い絞め」にされた。あんまり突然のことで、審判に「まいった。」の合図をする間もあらばこそ。見事に1本を取られてしまった。

 お父さん同様、とてもフレンドリーな子で、彼女に会った人は、皆彼女のことが好きになったのではないか。そういえば妹も、叔父さんが英語がほとんどダメなことは分かっているくせにニコニコ、延々と話し掛けてくれるフレンドリーな子だった。

 Darcey によれば、彼女等が暮らすニューヨーク州内陸部近辺では、11月中旬からスキーが可能だそうだ。我が息子殿が来春無事大学を卒業なさったら、1人でたどり着けるかどうか懸念されるが、あちゃらへスキーをしに行こうかな・・・。

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