発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyo@ma.wainet.ne.jp
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

ご意見・感想等は発行人までお願いします。(^_^)  

 乱杭 124号(2001年10月23日)
アンニョン・ハセヨ!(こんにちは!

0 10月18日から21日まで、75歳になった父のお供(正しくは、「コシギンチャク」または「小さく前に習え」)をして大韓民国ソウル市を訪問してきた。
 父は、青年時代に当時の京城工専に進学し、私の大阪と同じように、ソウルは青春の思い出の地である。

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  父は、残念ながら勉学途中で結核に罹患し、同校を卒業しないまま本国に送還されたらしいが、以前にも一度友人夫妻と母の4人で訪問し、また昨年5月には1人で再訪していたこともあってか、ソウルの中心市街地に近い南山(ナムサン)の頂上に立つソウルタワーの回転レストランから市内を眺望した折には、あれが漢江(カンガン)、あそこが青瓦台(大統領府)、あの辺が東大門(トンデムン)、あれは「何とか(私が忘れた)橋」で当時からあり近くで魚をとって下宿のおばさんにフライにしてもらって食べたら美味かった、などと説明してくれて、土地勘は完璧に残っているようであった。

 さて、私の韓国訪問の動機はと言えば、第1に、度々父からソウルでの生活や韓国の人々のことを聞き一度は訪れて直に見てみたいとかねてから思っていたこと。
 第2に、教科書問題や小泉首相の靖国神社参拝問題などで日韓関係が揺れる中ではあるが、我が国や我が民族にとって、隣国韓国は切っても切れない歴史的、文化的つながりを持つ国であり、直接その首都を訪れて、いささかでも韓国に対する理解を深めたいと思っていたことにある。
 従って、他の韓国への旅行をされた方たちと、次に述べる今回我々が訪れた各所とを比較すると、我々が訪ね歩いた所は、ショッピングなど一切無く、少し趣を異にしているかもしれない。

 初日は夕刻にソウルに入り、先ほども述べた南山タワーから市内展望。

 2日目は、ソウルのメインストリート大平路(通り)の散歩、そのまま歩いて景福宮とその中にある国立民族博物館、国立博物館。夕方から韓国の民族芸能を紹介する貞洞(チョンドン)劇場と、BOOKS LIBRO(書店)。

 3日目は、青瓦台、父が結核の治療を受けた現ソウル大学医学部付属病院、東大門近くの父の下宿先(探したが見つからなかった。)、東大門市場、コリアハウス、安重根(アンジュングン)義士「紀」念館(休館で中にははいれなかった。)、戦争記念館、再度BOOKS LIBRO(父は別行動で明洞(ミョンドン)市場)。
















 4日目は、徳壽宮と、その中にある国立王朝博物館、国立美術館、前同付属書店、ソウル・ワールドカップ・スタジアム。

 以上である。それぞれの詳細や感想は、次号以降で細述することにして、最も印象に残った所を述べよと言われれば、休館ではあったが、世界中がテロにどう対峙するか、かつての西や東、北や南の壁を乗り越えて大騒動をしているさなか、「安重根『紀』念館」であると申し上げる。

 いずれにしろ、有意義なソウルの4日間を過ごすことができたが、まず私にソウル行きの動機付けと案内をしてくれて、なおかつ各所で様々な説明や思い出話をしてくれた父に感謝します。

 

次に、父の度重なる「あっち行け、こっち行け、ここで待ってて、日本に来い!」攻撃にニコニコ対応してくれて、最後の日に仁川国際空港へ向かう高速道路のパーキングエリアのカフェテラスで「私の気持ち。」と言って愛用のライターを私にくれた李裕鎬(リ・ユウホウ)運転手(写真上)、そして分不相応なExecutive Floorなどに泊まったお陰で知り合えてハングル版野鳥図鑑購入などに多大な貢献をいただいたホテル・ロッテの李尚美(リ・サンミ)さん(写真下)に感謝します。コマ・スミダ(ありがとう)!

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