この後、中心市街地の中区小公洞にあるホテルロッテにチェックインして生まれて初めての経験をした。1階の、長さが30mくらいあるフロントへクーポン券を出すと「新館27階のフロアーフロントへ行ってください。」と流暢な日本語で言われた。別にこんなフロントがまだあるのかな、と思いつつ新館の27階へ行くと、幅1.5mくらいの小さなデスクがあって、No.124に写真を添付した李尚美さんが、ニコニコ笑って待っており「佐藤さんですね?」と聞かれて、そうですと答えると、「パスポートを拝見します。」と言われ、カードに記名して26階の部屋の鍵を渡されて「このデスクの裏の部屋で朝食をお出しします。夜は、ドリンク・フリーです。」と言われた。そこで初めて、父が「いい部屋を取ったよ。」と言っていた意味が分かった。
お部屋は、結構豪華なもので、上の写真のとおりトイレはビデ併設であった。使ってみたかったけど方法が解らないし大和民族の恥になったらイカンと思い断念した。新阪急も、赤坂プリンスも、泊まった部屋はこんなトイレではなかったぞ。
夕食を兼ねて出かけた南山のソウルタワーのことは前号に書いたが、出掛けに、万一日本語が通じない時のために、先ほどの李さんにハングルで「南山のソウルタワーへ行きたい。」とカードに書いてもらい、タクシーの運ちゃんに見せて無事着いた。
ケーブルカーで山頂へ登った。降りた後父が「若者がさっき俺に席を譲ってくれたのを見ていたか?」と尋ねてきた。その瞬間は見てはいなかったが、何時の間にか席に座っている父は見た。「これが韓国の儒教文化なんだよ。」と父。なるほどと合点した。
ケーブルカーを降りて父とノコノコ歩いていると、階段に座った50人くらいの若者の集団に出あった。その中の一人がカメラを持って私に歩み寄り韓国語で「写真を撮って。」と言うので(意味は仕草で分かった。)、「ここを押せばいいとケ?」と延岡方言の強い日本語で言うと、彼は一瞬ギョッとした感じで「ウン。」と頷いた。
席に戻った彼は、隣の仲間に「イルボン(日本人)」と囁いているようであった。それでも若者たちのことだ、「キムチー」(かの国ではそう言って笑顔をつくるそうだ。)とか言いながら笑顔を作って皆でポーズを取ったので、シャッターを押したが、どうも両端の連中が切れていたような気がしたので、カメラを取りに来た先ほどの若者を制して指を1本出して後ずさった。すると、期せずして全員が「オーッ」と声をあげ少し真面目な顔でポーズをとったので「セイ! チーズ」とファインダーから目を外して精一杯の笑顔をして見せたら、また「オーッ」と来て、皆ニンマリ笑い、2枚目を写し終えた。
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その青年から「カムサ[感謝]ハムニダ(ありがとうございます。)」と言われ、カメラを返して、その様子を眺めていた父と歩き出すと、後から大きな声で「さようなら!」と言われ、声のした方へちょいと会釈をして立ち去った。私には、今起こった予期せぬ出来事だけで、十分だった。来た甲斐があったな、と瞬間的に思った。
韓国の食べ物にあまり興味がない、と言うわけでもないが、宮崎の飛行場から機内まで、ずっとビールを飲みつづけていたので、食欲も無く回転展望レストランでは「ハンバーグ」を注文したら、これが大誤算。上にでかいニンニクのスライスが乗った、我が国のハンバーグとは、見かけは一緒でも味は似ても似つかぬ代物が出されて、ほとんど食べることができなかった。しかし、一緒に皿に乗ってきた魚フライとエビフライは、誠に我が国と同じ味で、韓国は以西底引きなどの我が国の遠洋漁業を駆逐した漁業船団を持っており、それはないかとは思うものの、ひょっとしたら原料は韓国が漁獲してそれを輸入加工した「日水」か「まるは」の冷凍物ではないかとも疑われるほどであった。当たりかもよ???
帰りは、展望レストランからホテルのネオンがさほど遠くなく見えたので、二人して歩いて帰った。
暑くもなく、ほんの少々肌寒い感じで、快適な夜の散歩であったが、ちゃんと道は間違えた。
ホテルへ帰って27階のフロントへ行き、李さんを捕まえて、日本語に身振り手振りを交えて(「野鳥」と言っても通じない。「英語で何と言いますか?」げな。「図鑑」と言っても、漢字で書いても通じない。どうやって説明したかよく憶えていない。)、「明日本屋へ行って「野鳥図鑑を買いたい。」ので、さっきみたいにカードにハングルでそう書いて、とお願いしてようやく書いてもらえた。
ドリンク・フリーだから、ノンべーの私にはそこは天国であった。スコッチの水割りを飲みながら、他の客が引けてしまったのをよいことに、李さんを独占して貞洞劇場への道順を尋ねるのを口実に話し掛け、色々韓国や彼女自身の知識を得た。
韓国の若いご婦人は「キムチ」を作らない、作れないそうだ。代わりにお母さん方が作って届けてくださるとのこと。勿論スーパーでも売っているそうな。ちなみに、彼女は既婚で旦那は国会の職員だそうだ。(がっかり・・・。ほんとは好色そうなイルボンのおやじを警戒して、ホテルが作ったマニュアルどうりにウソを言ったのかもしれない。私は真実だと信じたい。なぜなら)「自分の母の作るキムチはそうでもないが、主人の母のキムチはHotである。」と語っていた。
ひいては、「韓国風キムチなどと言うものは存在せず、各家庭で微妙に味や中に入る薬味が違うのだ。」とのことであった。なあーんだ、日本の糠漬けや沢庵、梅干と一緒の理屈ジャン、と思った。
そうしてソウル第一夜の夜はふけ、李さんの夢を見ながら深い眠りに付いた、と書きたい所だが、夜中に度々父がベッドから起き出して部屋をうろうろ、トイレでジャー。その度に起こされてすっかり寝不足になり翌日は、アクビたらたらの日となった。両親と宮崎で同居している弟の家族のご苦労が偲ばれました。ハイ。
お父さん、少しは他人の迷惑を考えろよな!
(つづく)
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