安重根は、我が国が、1910年に武力を背景として韓国(朝鮮)に強制的に併合条約を結ばせて27代・591年間続いた朝鮮王朝に終止符を打ち、韓国を完全な植民地とした前年の1909年10月に、中国ハルピンの駅頭において、当時同国侵略の元凶と見なされていた初代朝鮮統監伊藤博文を射殺した人物である。私は韓国、朝鮮史には明るくないので、同紀念館を紹介したダイヤモンド社版「地球の歩き方No.16韓国」(2001年7月13日
改定第16版)の文章を引用する。
安重根は、植民地時代の初代統監伊藤博文を中国ハルピン駅で暗殺した人物として日本でも知られている。義士と呼ばれ、民族の英雄として尊敬されている彼の素顔を知る日本人は少ない。法廷で裁きを受け、中国旅順監獄で処刑されるが、獄中では堂々とした態度で『東洋平和論』などの序文を掲げた。当時の看守・千葉十七は、彼の態度に感銘を受け処刑後も遺徳をしのび続けた。記念館は、1970年にソウル市民の募金によって建てられた。記念館は、それほど大きくないが写真や新聞記事などで説明されている。単なるテロリストではなく独立運動家としての姿が見えてくる。記念館前には安順根の書を掘り込んだ碑石がいくつも建っている。
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記念館前で、安重根の銅像(左写真)や左記引用文にある多数の碑石を見ていると、普通「落款」が押してある位置に、どの碑石にも安の手形が刻印されているのを示しつつ、「薬指と小指が短いだろう。安が伊藤暗殺の決意を確固たるものとするために自ら切り落としたのだ。」と父が説明してくれた。
私は、小さい声で言うけれども、たとえどんな決意を持っていたとしても、親からから貰った体を傷つけてまでそんな痛いことをするのは絶対イヤだわな、と思った。
彼の碑石の傍らには、自身が1979年に腹心の金載圭KCIA(韓国中央情報部)部長から暗殺された朴正煕大統領(当時)直筆の完成を祝う記念碑もあった。残念ながら、薄暗い館内の風除室にある受付で、チケットにスタンプを押していたオッちゃんに聞くと、閉館中とのことで、館内は見ることができなかった。
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ここを尋ねて、時あたかも「テロリズム」に、民主国家圏(と我々は思っている。)が如何にして対峙するかが大きな問題となっており、改めて「テロリズム」、「テロ」とは何かを考えずにはおられなかった。
10月15日付け「アエラ」はテロ特集を組んでいて、その中に「『テロ・非テロ』の境界線は引けるか?」との一文が掲載されていた。幕末の尊王派・攘夷派、開国派・鎖国派の国内内乱の折りに、多数の反対派の暗殺に荷担した伊藤博文自身が、結局は安重根よって暗殺されたと書いて、どれをテロ、これを非テロと呼ぶことの難しさを説いていた。この説に、下記の理由で賛成である。
それにつけても、伊藤は、維新に「征韓論」を唱えた西郷隆盛を結局は死に追いやった大久保利通等の明治政府指導者グループの一人であったはずであり、その彼が日本の韓国植民地政策の親玉と見なされて韓国民から暗殺されたことは皮肉である。
安重根は、先に紹介したように、韓国では今もって「義士」であり「英雄」であって、我が国では「暗殺者」である。
それでは、刑法学で言う「確信犯(殺人犯など人を殺そうとした者に限る。)」をテロリストと定義できるか?
酒乱の暴力オヤジは、いっそ死んだ方がいいと確信して殺してしまった悲しい妻までテロリストとは呼ぶことはできず、否である。
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特定の政府や政党、宗教、イデオロギーグループの代表的人物を狙ったもの(例えば社会党委員長浅沼稲次郎を刺殺した山口乙矢)や、今回の事件のように誰でも彼でも無差別に殺害する犯行(例えばテルアビブ空港乱射事件の岡本公三)とに、その境界を求められるか?
その凶行によって亡くなってしまった人やその家族にとっては、その死が「理不尽」であるという一致点があり、否であろう。
ならば、間口をウンと広げて「殺人」すべてをテロと定義付けられるか・・・。
私恨による殺人と、ある政治的、宗教的、民族的、ひょっとしたら哲学や世界観によって起こされた殺人とを同一視することも、その「下手人」にとっては、容認しがたいことかも知れない。
あー、こんなことなら大学四年生の時、高尾先生の法哲学をもっと真剣に受講しておけばよかった。私の今の思考回路の能力では、定義不能である。
従って、今回、我が国の国会が通した「反テロ法案」も、上につらつら書いたようにテロ・非テロの境界線が自分の頭の中に明確に引けないために、ただちに是認することはできない。
日頃、平和な我が国に住んで生活をしていて、(ある勢力によれば『平和ボケ』の生活を満喫している)来年には50歳にもなろうとする私がかの地を訪れて、未だに結論にたどり着くことができないものの、単に「暗殺=テロ」、とか「今回の事件=テロ」と早計に断定するのではなく、何がテロか、何が非テロかを真剣に考えるようになったことは、得がたい成果であったと思う。
(もっと、つづく)
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