発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyo@ma.wainet.ne.jp
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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 乱杭 137号(2002年3月23日)
戦前派・戦中派・戦後派
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 日本相撲協会の新理事長に、北ノ海が就任した。花の28(ニッパチ=昭和28年生まれ)トリオの一人である彼は、同協会初の戦後生まれの理事長である。

 私的新聞「乱杭」は創刊以来、「仕事(職場)の話題を取り扱わない。」という原則を貫いて来ましたが、今号は、例外中の例外です。
 3月22日夜、今月末で私達の職場を退職される部長さん、課長等11名の方々の合同送別会があった。以前は、それぞれの所属課所や昔の職場の後輩達、友人などが、それぞれ個別にお別れ会を催し、退職予定者は、次々に開かれるこのような送別 会のために、3月中アルコールが切れる暇がない、また送る側からも、中には2度、3度と同じ方の送別会に出席する羽目になると苦情があって、合同の送別会を開いて双方の負担を軽くしようと始まったものである。
 しかし、1回だけで済んでいるかといえば、やはり、そうは問屋が卸さないのが人間社会の常のようだ。その証拠に幾つかの職場でお世話になったI部長さんの『還暦祝い』と称する「退職祝い」に私も出席した。私の職場は、60歳を迎えた年度の年度末が定年退職日であるから、退職予定者(早期退職を除いて)は、皆さんその年度に還暦を迎えられる訳で、「還暦祝い」とは正に「一度だけ」を言い逃れるための「口実」である。

 そのIさんとは、変なご縁があって、Iさんが昇格される度に、そのポストの職場に私が待ち構えているという偶然が重なった。最初は、教育委員会の体育保健課。Iさんがそこヘ係長さんに昇格されていらした時には30代前半の生意気盛りの私がいた。

 ここで、一番参ったのは、平日に年休を頂いて「魚釣り」に行こうと思い、そっと休暇カードを出して「明日、日向灘の魚族調査に行ってまいります。」と申し上げたら、当時のI係長さんは、ニッコリ笑って「そうか、ご苦労さん。」と言われた。これには参りました。「もし将来、自分が係長という職責に付くことがあったら、このような係長さんになりたいものだ。」と思ったものです。怠業を奨励するという意味ではありません。「たまには、人間、リフレッシュも大切。」という意味です。

 その次に勤めた商工観光課では、Iさんは課長に昇格して見えて、またまた私が数年前からそこに勤務して待ち構えていた。ここでは、私の、所謂「厄払い」の願主にもなっていただいた。その次に私が異動した工業振興課へも、また追っかけて来られた。(正直な話、「また来た!」と思ったものです。)しかし、部長さんになられてからは、とうとうご一緒する機会がなかったのですが、これほどお世話になった上司はありません。長い間、ご苦労さまでした。

 先の「還暦祝い」の際のIさんのご挨拶がふるっていた。「退職したら、今まで出来ずにいた、やりたかったことをしようと思う。それは何かと言えば、中国(日本国内の3分の1程度の費用で取得できるらしい。)へ行って飛行士の資格を取ることです。そう皆さんに話すと、『それは、よいことをされますね。』と皆、異口同音に言うが、『資格を取られたら私もその飛行機に乗せてください。』と言う者が未だに誰一人としていない。我こそはと思う人は、名乗り出て欲しい。ミチヒロ君、君は飛行機が大嫌いだったから、乗せろとは言ってくれんワナ?」(アタボウヨ、クワバラ、クワバラ!!!)
























 合同送別会の際のIさんのご挨拶は、もっとふるっていた。
 「これまで、たくさんの先輩をこのようにして送ってきましたが、よもや自分にこのような日が来るとは、まったく思ってもいませんでした。」(会場、大爆笑。)「一つだけ皆さんに申し上げておきたいことがあります。実は、自分は太平洋戦争が勃発する7日(6日だったかな?)前に生まれました。従って私は、俗に言う『戦前派』であります。つまり、今年をもって、市長を初め特別職の方々を除いて、この延岡市役所からは『戦前派』は一人もいなくなるということであります。」

 この3月22日は、たびたび「乱杭」に登場する「おでん『小よう』」のママさん、田島幸美さんの63歳のお誕生日でありました。昨秋の私の誕生日には、早めにお店を閉めてママさんにご馳走をしていただいており、この合同送別会は、途中で抜け出してその「小よう」へ参りました。
 Iさん、申し訳ありませんがお許しください。また、Iさん操縦の飛行機に乗せていただくことだけは、どうかどうか、平にご容赦のほどを・・・・。これからも、お元気でお過ごし下さい。ということで、「小よう」へ回って、グデン・グデンになって帰宅した。

 翌朝、頭がズキン・ズキンする中で、遊びとなればそれはそれ、這ってでもいく性分の私は、近隣の某磯場へ出撃した。

 つまり、「日向灘の魚族調査」である。そして、平成7年から凝っている「ミズイカ(標準和名『アオリイカ』)釣り」を敢行し、自己新記録を更新した。これまでの記録は1.5k。今日は、1.7kを釣った。(この写真)

 Iさんの伝で言えば、私の退職挨拶は「今まで出来ずにいた、やりたかったことをしようと思う。それは何かと言えば、漁船を買って漁師になろうと思う。」でしょうか。
 母親の叱責が聞こえたような気がします。
「何をアホな事を言うちょるんか。あんた、そんなに飲んで、退職まで生きちょるもんかッ・・・!」

ごもっとも・・・・・。

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