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発 行:ひょうすぼ社 |
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乱杭 137号(2002年3月23日) |
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日本相撲協会の新理事長に、北ノ海が就任した。花の28(ニッパチ=昭和28年生まれ)トリオの一人である彼は、同協会初の戦後生まれの理事長である。 私的新聞「乱杭」は創刊以来、「仕事(職場)の話題を取り扱わない。」という原則を貫いて来ましたが、今号は、例外中の例外です。 そのIさんとは、変なご縁があって、Iさんが昇格される度に、そのポストの職場に私が待ち構えているという偶然が重なった。最初は、教育委員会の体育保健課。Iさんがそこヘ係長さんに昇格されていらした時には30代前半の生意気盛りの私がいた。 ここで、一番参ったのは、平日に年休を頂いて「魚釣り」に行こうと思い、そっと休暇カードを出して「明日、日向灘の魚族調査に行ってまいります。」と申し上げたら、当時のI係長さんは、ニッコリ笑って「そうか、ご苦労さん。」と言われた。これには参りました。「もし将来、自分が係長という職責に付くことがあったら、このような係長さんになりたいものだ。」と思ったものです。怠業を奨励するという意味ではありません。「たまには、人間、リフレッシュも大切。」という意味です。 その次に勤めた商工観光課では、Iさんは課長に昇格して見えて、またまた私が数年前からそこに勤務して待ち構えていた。ここでは、私の、所謂「厄払い」の願主にもなっていただいた。その次に私が異動した工業振興課へも、また追っかけて来られた。(正直な話、「また来た!」と思ったものです。)しかし、部長さんになられてからは、とうとうご一緒する機会がなかったのですが、これほどお世話になった上司はありません。長い間、ご苦労さまでした。 先の「還暦祝い」の際のIさんのご挨拶がふるっていた。「退職したら、今まで出来ずにいた、やりたかったことをしようと思う。それは何かと言えば、中国(日本国内の3分の1程度の費用で取得できるらしい。)へ行って飛行士の資格を取ることです。そう皆さんに話すと、『それは、よいことをされますね。』と皆、異口同音に言うが、『資格を取られたら私もその飛行機に乗せてください。』と言う者が未だに誰一人としていない。我こそはと思う人は、名乗り出て欲しい。ミチヒロ君、君は飛行機が大嫌いだったから、乗せろとは言ってくれんワナ?」(アタボウヨ、クワバラ、クワバラ!!!) |
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合同送別会の際のIさんのご挨拶は、もっとふるっていた。 この3月22日は、たびたび「乱杭」に登場する「おでん『小よう』」のママさん、田島幸美さんの63歳のお誕生日でありました。昨秋の私の誕生日には、早めにお店を閉めてママさんにご馳走をしていただいており、この合同送別会は、途中で抜け出してその「小よう」へ参りました。 翌朝、頭がズキン・ズキンする中で、遊びとなればそれはそれ、這ってでもいく性分の私は、近隣の某磯場へ出撃した。 つまり、「日向灘の魚族調査」である。そして、平成7年から凝っている「ミズイカ(標準和名『アオリイカ』)釣り」を敢行し、自己新記録を更新した。これまでの記録は1.5k。今日は、1.7kを釣った。(この写真) Iさんの伝で言えば、私の退職挨拶は「今まで出来ずにいた、やりたかったことをしようと思う。それは何かと言えば、漁船を買って漁師になろうと思う。」でしょうか。 ごもっとも・・・・・。 |
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