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発 行:ひょうすぼ社 |
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乱杭 148号(2002年8月19日) 0 0 ・午前10時延岡発 (国道218号を一路、熊本県三角町へ) ・熊本県との県境にある五ヶ瀬町の物産センターで、月見ソバの昼食。つなぎの少ない濃い茶色のボソッとしているけれども美味しいソバであった。 ・国道218号で九州縦貫自動車のインターがある松橋町へ。
・九州自動車道をくぐって218号を右折し、国道3号、宇土市から国道57号を通って三角町へ。同ルートは、国道266号で宇土半島の南岸を行くルートもあるが、職場の「九州管内の道路の生き字引」甲斐恵三君が、57号ルートの方が見晴らしもよく、道もよい、とアドバイスをしてくれたのでそれに従い、正解であったようだ。 ・宇土半島突端から三角瀬戸を266号で大矢野町へ渡り、天草五橋(天草パールライ)へ。内海の穏やかな海、トンネル、海水面下からひどく離れた橋を次々に通過。 ・天草上島では、島原湾側の国道324号から建設中(一部開通)の高規格道路を通って、天草下島の本渡市へ。 ・本渡市から再び266号を通り、途中で甲斐恵三君が教えてくれた「天草下島横断道路」に折れて、長崎半島とに挟まれた天草灘側の下田温泉に出るルートを通った。2000年1月発行の「九州自動車道エリアガイド」では、同横断道路は緑色に着色され有料道路であることが表示されているが、266号から入り込む辺りに「料金徴収なし」と看板が立っていて、料金所の跡形さえ見かけられなくなっていった。
・こじんまりとした下田温泉から海沿いの断崖の上を走る国道389号を通った。延岡から日豊海岸沿いを北上する国道が388号で、太平洋と東シナ海の違いはあるものの海沿いの難路。 ・途中、大江天主堂を見学。また、何とか言う小さな漁港で竿を出したが、サヨリが1匹釣れただけ。ヒダリマキ、スミヤキ、カワハギの稚魚が岸壁に沿って群れていた。 ・河浦町白木河内から三度目の266号に乗り天草下島最南端の牛深市へ。 ・17時発の天草・鹿児島国道フェリーで五島海峡を渡り、再び389号で長島を通過して、黒ノ瀬戸に掛かる黒ノ瀬戸大橋で九州本土へ再上陸した。 ・天草諸島を走っている最中、少なくともここ5年以内に閉店したと思われる寿司店、ドライブインなどの飲食店を沢山見て、お商売の難しさを痛感させられた。 川内市内を通過する頃には、夕闇となった。 ・何処かで夕食をと思いながら踏ん切りがつかず、串木野市から市来町に入ったところで、さっき通り過ぎたトンカツ屋さんに行こうと思い至って3号線を反転。 0 ・そんなことがあって、なんとなく「みその」というトンカツ屋さんに入った。メニューに居並ぶ品が1500円前後と、ロードサイドの飲食店としては、ちょっとお高い気がしたが、午後9時前というのにお客は引きも切らず、大繁盛と見受けた。 ・ヒレとエビの盛り合わせを頂いたのだが、一寸したハプニング。私のオーダーを聞いてくれた20くらいの店のオネーちゃんが、一口ビールを飲み終えた頃にやって来て「すみません、ご注文はなんでしたでしょうか?」、続けて店のご主人も飛んで来て詫びを言う。 ・最近は私も人間が出来てきたので、ニコニコしてメニューを指差すと、三拝九拝して下がり、しばらくして出された料理に箸を付けた頃、また先ほどのオネーちゃんが来て「申し訳ありませんでした。」 パン生地の衣は、ぱりっとした歯ざわりの後、瞬時に口の中へ散って、その中に包まれたヒレ肉は、一口噛むと溶け入りそうなほど柔らかく、美味であった。 ・レジで御代を払うと、レジ係りの別のオネーちゃんが、主人が「あの客が帰る時は、詫びを言ってくれ。」と指示したのかも知れないが、また詫びを言い、こちらが恐縮するほどの接客マナーに感心した。 ・と思いつつ店の外に出たら、駐車場の一角に、順番待ちの客のために作られた囲炉裏つきの開放的な田舎家の居間風の小屋の濡れ縁で主人が涼んでいて、また「先ほどは、申し訳ありませんでした。」と声を掛けられた。 「いいえ。ビールを飲んだので、駐車場の車の中でしばらく休ませてください。」と言うと、「よければこちらでどうぞ。」とのこと。 ・濡れ縁に2人で座り、結局、店の閉店まで主人の話を聞いた。
・いいとこの生まれだった母親がラーメン屋を始めて、後継ぎの自分は、現在その店とこのトンカツ屋の2店を経営していること。 競争が激しく、廉価で行くか、この店のようにある程度の価格設定をして、よいものを提供するか、そのどちらかに今の飲食業は2極化していること。 そのような中、自分も従業員も心からお客に感謝できるためには、ある程度のお金は頂かないと、利の薄い商売では、接客も粗雑になるように思うこと。そのため、価格帯も1500円前後にしている。 ・私が、先ほどの素晴らしいパン生地の衣を褒めたら、納得のいく生のパン生地を見つけ出すまでに大変苦労をした由。 ・鹿児島道路のインターが近くで供用開始となり、通行料金が300円で短時間に鹿児島まで行けるようになった中、人口2万7千の串木野と50万を越す鹿児島では勝負にならず、このため、市内の他の飲食店主にも声を掛けて勉強会や名物作りに取り組んでいるが、欲がなく「食べていければいい。」といった感じの経営者が多くて処置なし。きっと、うちの店で修行をした若い子たちが独立して店を出したら、彼等はその子たちの店に負けるだろうと思っていること、などなど、ひょんなことから興味深い話を聞かせていただいた。 ・普通、このような話は、手柄話のような成功物語で鼻を付くものになり勝ちだが、真摯で正にきちんとしたポリシーをもった話で心地よく、今回の長距離ドライブの一番の収穫は、この「みその」のご主人から伺った話だったように思う。 ・自分は、行きあたりばったりのドライブをしており、これから鹿児島経由で有料道路「指宿スカイライン」を通って枕崎まで行ってみようと思う、と話すと、主人は、「国道270号を通って行くとよい。鑑真和上が渡来した伝説のある坊津町にも寄ってみれば。」とアドバイスされた。 ・それが午後10時過ぎ。片足で立ってみてグラリともしないので、酒酔いは払拭したと判断し、主人に礼を言って、空っぽになったペットボトルを処分して出発しようとしたら、ポータブルクーラーの冷えた麦茶を満タンにしてくれた。これはもう、接客を超えて、ホスピタリティーとでも言えるのではないだろうか、とまた感心した。 ・270号はハンドル操作らしい操作が必要なカーブがほとんどなく、よく整備されていて、快適だった。 ・深夜前に枕崎港に到着し、何処かで仮眠をしようとフラフラ走り回っている間に「坊津」の案内標識を見つけ、また226号を西へ走り出した。その間、鑑真まつりというのぼり旗が沢山あった。あの辺りが坊津だったのだろう。
・途中、「止めよう密漁・密航、不審船は118番」という看板を沢山見かけて、太平洋にはない、東シナ海の厳しい一面を垣間見た。NHKのラジオを聞こうと付けた中波のカーラジオから聞えてくるのは、強力なWhの朝鮮語、中国語の放送ばかりで、NHKがほとんど聞き取れなかった。 ・結局、薩摩半島の西南端に盲腸のように張り出した野間半島の先端の笠沙町野間漁港まで、途中の山道で3匹の狸を見たりしながら、午前1時過ぎに着き、そこの岸壁に車を止めて仮眠した。 ・午前2時半過ぎ、70歳前のお爺さんがお弁当が入っているらしいビニール袋を下げて岸壁に来て、その後40台の男性、60台の男性がやはりビール袋を持ってやって来て、目の前の漁船に乗り移り、東の海を3人で見つめていた。 ・車の窓を開け放っていると心地よい東風がビュービュー吹きぬけていた。そうこうするうちに、「おはよう!」といいながら別の30台後半の男性が岸壁にやって来て、先の漁船の隣の船に乗り込んだ。その後、その船にも、20台と40台と思われる男性がやって来て乗り込んだ。 ・2隻の漁船の出港かな、と眺めていると、船室に入ってごそごそしていたが、結局、3時半頃、2隻の6人の乗組員は、元来た道を船から下船して帰って行った。どうやら、海の状況が更に悪化すると判断し、出漁を取り止めたらしかった。 ・午前6時前、漁船のエンジン音がして目が醒めた。KG(宮崎はMZ)の漁船登録番号の船が目の前に接岸し、船長と3人の釣り客が、如何にも重たそうなクーラーバッグをそれぞれ積み下ろして下船した。大漁であったようだ。 これを機に岸壁を出発して、そのまま直進、昨晩一旦通過した加世田市に戻り、県道を経て、国道225号を通り、川辺ICから指宿スカイラインに乗った。
・同有料道路は、開通が古く、道路の構造的には曲線、登り・下りなど走り易いとは言い難い道路である。途中、赤色灯を回転させたパトカーが路肩に止めてあり、警察官が見あたらないな、と思っていたら、そのカーブを曲がった先に、どう見ても2〜3回転したらしいフロントガラスがグチャグチャ、ボディーがボコボコになった軽自動車と、その脇に膝を抱えて座り込んでいる10台後半か20台前半の女性、そして彼女を取り囲む5人の警察官が目に入った。 若い交通事故死者の大半は、初めて遭遇した事故で尊い命を失っているのではないかと日頃思っている私は、この彼女にしてみれば、未経験の車の横転のショック、しかもローンも終わっていない車をお釈迦にして、呆然自失と言った所かなとは思いつつ、「命あってのものだねダヨネ!」と呟いて、側を通過した。 ・この後、指宿スカイラインで鹿児島まで出て、従来の国道10号で都城市まで走り、そこから九州自動車道で清武JCT、東九州自動車道で西都まで行って、後は広域農道と国道10号線を通って昼過ぎに延岡へ帰った。
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だれた(疲れた)・・・
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