発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyo@ma.wainet.ne.jp
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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No.87 乱杭(2000年9月4日)

◎何がネックであったか

 今回の渡米の最大の阻害要因は何であったか。煙草です。禁煙です。最初にこの公演の話があってから半年くらいは、行くか行かないか随分迷いました。光市のメル友、香緒里ちゃんによれば「煙草は百害あって一利なし。」だそうだ。貴女に言われずともとうに承知。自分自身が一番苦しんでいるのですから。ちなみに香緒里ちゃんは、パソコン通信で私がナンパしたギャルではありません。息子が所属している大学のサークルのキャップです。
 通常私は、日に2箱の煙草を吸います。従って日本を出発してボストンに着くまでの15時間、吸わずに過ごせるか、本当に不安でした。








 結果は、何とかなるもんです。行きは修行僧の断食の境地で、ガムを5箱ほど噛んでやり過ごし、帰りのボストン〜ロス、ロス〜関空〜熊本は、最近流行りのニコチンパット(シール状のパットを肌に貼り付けてニコチンを吸収する。)で、禁断症状を乗り切りました。 

 しかし、アメリカ社会は喫煙者を犯罪人扱いする社会で、例えば、あのディズニーランドには、たった3箇所しか喫煙所がありませんでした。今度行ったら吸える場所は無くなっているんじゃないか?
 お陰様で、出発の際、関空の税関を入った免税店で、通常より900円安く買ったスーパーライト1ケース(10箱)は、8日後の熊本到着の時、まだ2箱残っていて、1日1箱、通常の半分の喫煙量で済んだ。勿論、翌日からは、きっちり1日2箱のペースに戻ったけれども。


◎8月22日(2日目)の夜

 メド市からホテルに帰ると、ロビーで延岡フィルのトロンボーン奏者で事務局も担当している早瀬君から「夜の街に行ってみませんか?」と誘われ、延フィルのメンバーや宮日の野辺さんら総勢9人で街のバーへ。
 店に入ると、いかつい店のあんちゃんが我々のテーブルに来て「諸君は、皆21歳以上であるか?」と問い、「ソウダー!」と答えると「OK!」と言って注文を聞いてくれた。先程の早瀬君は、この公演の下話で2年前にこちらに来ていて、以後、誠に堂々と我々の注文をそのあんちゃんに取り次いでくれた。






 私が飲んだのは、当地の地ビール”Samuel Adams”。 濃い琥珀色のちょっと懐かしい味の美味いビールであった。日本の中ジョッキくらいのグラスで1杯$2.90。初日、ノースウエスト航空の国内線で缶ビールが$4.00であったことを考えればお安い。
 ホテルに帰ってエレベーターを降りた際、宮日の野辺さんが「もうちょっと飲みたいなー。」と言うので、「そりゃ、お気をつけて。」と言って別れた。翌日もちゃんと取材をされていたので、無事であったようだ。                           


◎8月23日(3日目)

 家族はナイアガラの滝へ。私は15時からのリハーサルまでフリータイム。マイクが日本に滞在中、何くれと世話を焼かれ、その後何度か彼の家に家族で行かれている吉本先生のご一家(長女さんがソプラノで参加)と、マイクの家族(お母さんと10歳の次女ケイトリン)と合流し、ボストン美術館へ行った。

 

◎自己実現は皆無

 今回のようなツアーであっても、何がしか、自分で現地の人と会話を交わし、用を済まさなければならない場面はあるものだろう。私の場合、マイク次第では23日は単独行動になると思っていた。しかし、2日目の夜に彼は現れ、コンサートの直前まで、ボストン、そしてメド市にいて我々をエスコートしてくれた。
 このため、23日は、場合によっては自分で地下鉄に乗り、自分で切符を買って美術館に入り、昼は何処ぞやで何か注文して食わねばならないと考え、地下鉄路線と運賃、美術館の入場料、その他を事前に調べていたのに、チケット窓口の交渉や支払いを含めて全部マイクがやってくれた。
 これは、拍子抜けである。とは言え、例えば地下鉄(ボストンではサブウェイと言わず「T」と言う。)は、日本のように自動販売機は無く、窓口のオッサンと一問一答でトークンと呼ばれる乗車コインを買わなければならず、自分でやったら偉いことになったと思う。その危惧が翌朝、早速現実となるのだが・・・・。

 ボストン美術館では、常設展とは別にVAN GOGH:“FACE TO FACE”展を開催Here's a cool technique! しており、教科書や画集で見覚えのある自画像や郵便やさんなどの肖像画を堪能した。

 常設展も素晴らしかったが、有名な浮世絵のコレクションは一点も展示されていず、ゴッホと交換で何処ぞへ出張しているものと思われた。
















 

 

 マイクの次女ケイトリンは、よほど私が気に入ったのかどうか知らないが、私に引っ付き回り、悲しいことに「英語」でしきりに話しかけてくれた。勿論、さっぱり分りません。目じりを下げてニコニコする以外なすすべがなく、どうしても困ったら吉本さんのお嬢ちゃん(ペラペラ)に通訳をお願いするしかありませんでした。
 ところで、感心したことがひとつ。ゴッホ展の会場には、入場制限があって、会場内がごったがえすのを防いでいた。しかも、ちゃんと入り口に「次の入場時間は何時」と明示してあって、その時間をチケットに機械でプリントしてもらい、その時間に入り口に行くとすんなり入れる。順番待ちの列は無し。このシステムは、6日目(27日)に行ったディズニーランドでも、人気の乗り物に”FASTPASS”と言うシステムで取り入れられていた。アメリカ的合理主義、若しくはサービス産業先進国と呼ぶべきか。同美術館は蛸足配線のような構造だったため、何処をどう見たのかよく分らない。しかし、総じて「古代美術から近代美術までの流れ」的な展示の基本コンセプトは理解できたように思われる。
 その証拠に、現代美術のジャンルに分類される収蔵品は1点もなく、ピカソのキュビズムあたりが最後となっていた。
 もうコリゴリだけれど、もし禁煙に成功してもう一度アメリカに行くことがあれば、ここと、すぐ近所にあるイザベラ・ガードナー美術館、それにニューヨークのメトロポリタンと、グッゲンハイム(現代美術)両美術館に行ってみたいと思う。


アメリカにも激安店

唯一、美味かったバルタン星人

 美術館を見た後は特に目的は無く、また地下鉄でダウンタウンに戻って、言われるままにFilene’sというデパートに連れて行かれた。宮崎で言えば「山形屋」を少し少規模にしたような店でオラどうでもイイワ、と思っていたら「地下へ行くぞ!」とマイクが言う。「食料品売り場かい?」(嫌いでない。どちらかというと興味がある。)と聞くと「違う!」。
 そこは、地下1・2階全部が大バーゲンセールの売り場でした。帰って家族に話したら「自分達も行きたい。」となって、翌日また行ったのだけれど、毎日割引率が変わったり、同じ物を買うと2点目は割引価格のその又半額になったり、なんとも奇妙なシステムのお店でした。
 ちなみに私は、定価$49.90の綿のボタンダウンシャツを2枚買った。1枚目は50%OFFで$24.95、2枚目は、そのまた半額で$12.48。おまけに、マサチューセッツ州は$170までの衣類には州税がかからず、儲けた気分だった。NY州在住のマイク達がなぜここに来たか分った。NY州ではこの免税措置がないのだそうだ。






 その夜、訪問団は、ツアーにセットされていた名物のロブスター料理をレストランで食べたが、美味しいと感じた食事は、8日間を通して唯一ここだけだった。後は、香辛料や味がまったく合わず、とにかく食べただけ、だったような気がする。

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