発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
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riyo@ma.wainet.ne.jp
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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No.92 乱杭(2000年9月10日)

◆ロスの印象◆

 ロサンゼルスの印象を一言で言えば、民族のルツボ。アメリカは、よく多民族国家と言われますが、ここはその典型ではないでしょうか。東の端と西の端、なおかつたった1個所だけを見て、解ったように言うのは、勿論ナンセンスであることは承知の上で言えば、そうなります。もっと正確に言えば、ボストンとロスは、同じアメリカの街ではあっても、そこに住んでいる人々の組み合わせがまるで異なる、違った国のような印象を持ちました。
 また、現地を案内するJTBの担当者にもよるのかも知れませんが、ニューイングランドと呼ばれるボストンでは、どうしても古いアメリカ、アメリカ史の断片のような案内が中心となり、独立戦争にまつわる建物、史跡を多く案内されました。
 一方、ロスは、ハリウッド映画の何々の撮影現場になったところであるとか、有名な俳優が住んでいるお屋敷とか、小室哲也が去年まで持っていた別荘であるとか、私にとってはどうでもいいことがあまりにも多く、ゲンナリ。










 

 ただし、強い日差しにもかかわらずカラッとした気候は過ごしやすく、これは気に入りました。また、ダウンタウンに隣接したたくさんの街区が更地にされ、ほとんどは駐車場($3−1DEYと看板が出ていた。)として使われていましたが、これは日本のバブル経済崩壊をもろに被った結果である、と添乗員氏が解説をしておりました。ちなみに、当時、ロスの多くのビルのオーナーとなった日本企業はほとんど撤退し、現在はチャイニーズがこれに取って代わっており、およそ70%を所有している、とのことでした。「高く買って、安く売る。」日本企業の間抜けさを添乗員氏はせせら笑っておりましたが、この奉仕の精神が今日のアメリカの経済的復興を支えて来た、との説(恐らく当たっている。)もあり、興味深く眺めました。


その他の断片 ◎メドフォード

 22日の夜に開かれたウェルカムパーティーの際、バグパイプバンドがメド・延岡両市長入場の先導をしたことは書きました。セレモニーの終了時にも何曲か演奏をしましたが、最後の曲は、「エーメン」の歌詞で始まる日本でも有名な「アメイジング・グレイス」。
 演奏が始まると、彼らを取り囲んでいた訪問団の中から、期せずして同曲のハミングが起こり、バグパイプの音色と我々のハミングが調和し、正にハーモニーとなりました。私はこの時、一番盛り上がるサビの部分で、不覚にも涙がボロボロ出てしまった。
 マイクの家族は、お母さんの「入れ歯」の都合で、本番までは残れず、最後のリハーサルを聴いて帰宅しましたが、そのことが解っていたので、私とマイクにとっては、この時が本番でした。我々の演奏がどう伝わったのか、未だに詳しくは聞いていませんが、本番直前の発声練習会場に「さ








よなら」を言いに来た彼と、これまでで一番強く握手をして別れました。来年は吉本先生のアレンジで、夏休みに長女ドロシーが延岡に来る予定だそうです。
 本番の演奏は、宮日、デイリーでも既に報じられているように、手前味噌ながら、素晴らしいものでした。
 我々と、延フィルが頑張ったのは勿論ですが、合唱団、交響楽団に加わっていただいたそれぞれ11人の現地の助っ人、もっと詳しく言うと、延フィルにも日本国内各地から助っ人が参加していただいており、そのようなたくさんの人々の応援、そして、素晴らしいソリスト、メドフォード市内からだけでなくボストンなど近郊から駆けつけてくださった聴衆、これらが一体となって、感動的な演奏会となりました。終演の際も、涙がちょっぴり・・・・。
 私達の演奏が、この夜集った全ての人々の心に残っていくことを確信しました。

(つづく)

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