No.93 乱杭(2000年9月10日)

その他の断片 ◎食べる

(21日)
・しばらく日本食は食えないと思い、関空で選んだ食べ物は「ラーメンと餃子」。大阪みなみの眠眠にもない妙な餃子だった。
・ノースウエストの機内食のメニューが取ってあるけれど、どのような物であったかよく思い出せない。メニューによれば、「チキンのバーべキュ、ポテトと温野菜添え」「海老のマリネ、カリフラワーサラダ添え」「冷(秋田市の研修生が延岡に普及した)稲庭うどん」「パンとバター」「フルーツコンポート」「チョコレート」「ミネラルウォーター」。翌朝は、「モンテリージャックチーズ入りオムレツ」「フルーツカクテル」「クロワッサン」「オレンジジュース」

(22日)
・この日から25日の朝まで、朝食はスイソテルのバイキング。もんくは無いけれど毎日一緒(1品だけローテーションがあった。)というのはキツイぞ!
・昼はボストンの中華街で中華。とにかくすごい量で、我々のテーブルはあらかた残った。旅行中、色々な所で食事をしたが、極一部を除き良質のサービスを受けたと思う。その中でここの中国系のウェイター、ウェイトレスの客扱いは最低だった。白人の客に同じように接しているのだろうかと訝(いぶか)られ、我々も、アジアやアフリカの人々にこのような接し方をしてはいまいかと、脚下照顧。

 













(23日)
・昼は、マイク・吉本さんの家族と「大安売りデパート」の近所の世界の食べ物何でもありますレストランでインドカレーを食べた。勿論「アメリカ東海岸流インド風カレー」なのだろうが、妙な味のピクルスがたくさん入っていて食えたものではなかった。
・夜は、既に報告したようにバルタン星人(ロブスター)料理。

(24日)・ニューイングランド水族館の隣りにあるレストランでチキンソテー。230人分一度に焼くオーブンと人手がある訳が無く、かなりの人に黒焦げのチキンが出てきた。食べているうちにウエイターが1人もいなくなって、デザートや飲み物を添乗員さんたちが配膳しだしたのには驚いた。ストライキでもあったようだ。
・夜は、演奏会終了後タフツ大学でフェアウエルパーティー。会場はごった返しており、かつ煙草もアルコールもだめ。このため、中には入らず、コーエン・オーディトリウムの前庭で、指揮者の末廣誠さんやオケのメンバー、エキストラ等の喫煙常習者とミネラルウォーターを飲みながら煙草を吸った。
・ホテルに帰って$10出しの打ち上げパーティー。ビールとスコッチをしこたま飲んだ。


(25日)
・ノースウエストで2度目のお昼。内容は往路と同じくビーフかターキーのハンバーガー。
・夜、ロスのホテルニューオオタニの近くの「八橋」と言う鉄板焼きレストランで、5日振りに日本食。味噌汁と白菜の漬物、醤油(キッコーマン)が大変美味しく感じられた。

(26日)
・ディズニーランドでは、アルコールが売られていないことを知らなかった。もう行かん。





(27日)
・機内食は往路と似たようなもの。スクリーンでやっているアメリカ映画の字幕スーパーがなぜか「中国語」。なんでげナー?
・関空に帰ってきて最初に食べたものは杵屋の「ザルそば」。実に美味しかった。[結論] 全てのアメリカ食を味わった訳ではありませんが、基本的に,私は合わない。もし行くことがあったら今度はJALにしよう。

(つづく)

 

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