発 行:ひょうすぼ社
発行人:佐藤理洋
e-mail:
riyo@ma.wainet.ne.jp
創刊:昭和60年(1985年)6月15日

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2000.9.4  乱杭No.86 

◎青草、海を渡る[span lang=EN-US]

 延岡市と米国マサチューセッツ州メドフォード市との姉妹都市締結20周年を記念して、8月24日に、メド市で行われた延岡フィルハーモニー管弦楽団、延岡「第九」を歌う会共同の記念コンサートに参加するため、8月21日から28日まで、250人の訪問団の一員として渡米した。



 この際とばかり家族にも声をかけたら、案の定、既に嫁いで3歳の娘をかかえる長女以外の全員が話に乗ってきて、我が家からは総勢4人が参加した。妻、長男、私は初めての海外旅行だったので、やれパスポートの取得だ、サムソナイトは誰から借りようか、向こうでも使えるカードを作ろう、などなど、結構行くまでが楽しかった。


 ◎パソコンが大活躍

 必要に迫られて、4月にパソコンを買った。このパソコンが、今回は大活躍した。
 ひとつは、インターネットを使って滞在する街の情報が、様々な角度から得られたこと。
 もうひとつは、たった1人のアメリカ市民の友人マイケル・ケインとe-mailを使って事前に連絡が取れ、再会をはたしたこと。
前者は、本とうに便利だ。滞在中4泊したボストンのことについて、例えば宿泊先の「スイソテル・ボストン」や、今回最も楽しみだった「ボストン美術館」について、予め詳しく知ることができた。つまり、予習を積んで行くことができた。
 後者のメールの相手、マイケル・ケインは、1970年から71年にかけて延岡高校にロータリークラブの交換留学生としてやって来た時に知り合った友人で、現在はお隣のニューヨーク州オーバニーの近郊に住み、スキャネクタディー・ギャゼッツという新聞社の記者をしている。                                       






 正直に申し上げるが、私は英語がほとんど喋れないし、聞き取りはもっとひどい。従って、彼と連絡を取るには、手紙に頼るしかないが、マイク君は折り紙付きの「筆不精」で、知り合って30年の間に、さて何回手紙を貰っただろう。オリンピックが1回開催される間に1通来たかしらん。

 この間、82年には、ご両親、奥さんのキャシーと、98年には一人で延岡へ来ている。それが、e−mailでは、確実に返事がくる。
 こちらは、それを読んでから和文の返事をつくり、英語の達者な友人に英訳を頼むなり、辞書を引き引き、英作文をして送ればよい。これが国際電話であれば、録音でもしなければ、何を言っているのか、解ったものではない。


◎再会は、ラッキー

 「メドフォードのコンサートに家族と行くから、どうしたらチケットが手に入れられるか教えて。」といったやりとりから始まって、我々の詳しい日程の連絡や宿泊先などを知らせたものの、結局出発まで、彼がやって来る日が確定せず、なんとかなるわい、となっていた。
 2日目の8月22日の夜、メドフォード高校でメド市主催のウェルカムパーティーがあった。
 バグパイプ合奏団の演奏に従って両市長が入場し、歓迎あいさつ、答礼あいさつが延々と続いた後は、メド高校OBのジャズバンドの演奏で一気に盛り上がり、決して少なくない数の浴衣姿の訪問団のメンバーを中心に、ジャズ演奏に乗ってばんば踊りの輪が出来て、あちらの人々もその輪に混じり、さながら「メドフォードばんば」の総踊りなって、どんな音楽ででも踊れてしまう「ばんば踊り」に驚いた。






 そんなこんなで2時間余りのパーティーが終わり、ボストンのホテルへ帰るため会場を出て、バスへ向かって歩いている時に「RIYO!」と呼び止められた。 なんと、目の前にマイクが立っているではないか。もう少し早くパーティーが終わっていたら、ここでは会えないとこだった。ラッキーの一言に尽きる。結局彼はボストンではなく、メド市のホテルを予約しているとのことで、翌朝、ボストンのホテルで再度会うことにして、ひとまず別れた。

(つづく) 

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